Team埼玉 ブログ

自閉症教育と授業改善についての学習会

台風9号

2016年08月22日 23時52分56秒 | 日記

本日、朝霞市の中学校で13:00開始の予定で研修会がありました。午前中勤務し、大雨だったので、少し早めに車で学校を出発しましたが、途中、冠水による大渋滞があり、車を置いて、電車で向かうことにしました。電車も大雨の影響で遅れ、昼食を摂る時間も無くなり、最寄駅からタクシーに乗り、目的の中学校へ向かいました。しかし、中学校の手前の道が冠水のため通行禁止となっており(パトカーで道をふさぎ、消防の車が出動し、ゴムボートを積んでいました)、目の前にもかかわらず行くことができませんでした。約束の時間にはまだ少し余裕があったので、タクシーの運転手さんにお願いして迂回路を探してもらっていたところ、携帯が鳴り、研修会の中止を知りました。そのまま駅へ戻り、大雨の中、帰路につきました(さすがに疲れました・・・)。十数年、研修会講師をしていますが、初めての経験でした。

観測史上初、記録的大雨など、これまで経験してこなかった異常気象が生じていることに一抹の不安を感じております・・・。 

畠山


日本特殊教育学会

2016年08月18日 01時00分05秒 | 日記

第54回大会が今年新潟で開催されます。

1年に1回開催しているので、今年で54年目ということになります。

日本の特別支援教育の中心と言っていい学会だと思います(他にも障害児教育に関係する学会は多数ありますが、また、名称も「特別支援」ではなく「特殊教育」ですが、歴史を踏まえてても現在の位置づけにおいても、個人的にはそう思っています)。

行政関係者、大学の研究者、学校の教員、福祉関係者、労働関係者、医療関係者、法務関係者、保護者、特別支援教育を志す大学生及び大学院生等、国内外問わず、多くの専門家、関係者が一堂に集い、それぞれの実践や研究を発表し合う3日間です。

多くの最新の情報を得ることができます。

埼玉県の特別支援に携わる多くの先生方にも、是非、参加して多くの刺激と出会いを得てほしいと思っています(参加費や交通費は多少かかりますが、自己への投資と考えれば費用対効果は十分あるものと思います)。

自分も学生時代に入会し、修論を発表して以来、教員になってからも毎年何かしら自分の実践をまとめて口頭発表やポスター発表、自主シンポジウムの話題提供などで発表させていいただいています(卒論は日本行動療法学会で発表しました・・・)。

日々、学校に勤めていて、忙しさに追われるような生活をしているようでも、「研修」から新たな学びを得ることで、理論を裏付けとした「研究実践」としての新たな視点で日々の教育実践・授業を考えることができるようになると思っています。

日本特殊教育学会では、北は北海道から南は沖縄、はたまた海外まで、日本全国及び世界各国で障害のある方々、子どもたちのために日々、執念を持ってご努力されておられる支援者の方々に出会い、話し合い、情報交換、情報収集できる機会となります。

日本特殊教育学会のHP等、是非チェックして、参加を検討してみてください(一月前から新幹線の指定席予約及びチケット購入ができます)。

と言いつつも、毎年お盆休みは、9月の3連休にある日本特殊教育学会のプレゼン発表用の資料作りに追われています(論文集用のレジュメは5月にできていますが、今年のプレゼン資料はまだ完成していません・・・)。

がんばります・・・。

          畠山

 


南雲さん。

2016年08月05日 23時37分29秒 | 日記

本日、越西特支の公開講座に参加してきました。ディスレクシア当事者の南雲明彦さんの講演会でした。書籍では読んでいましたが、ご本人の講演を聞ける機会だったので、相乗り研修が広報されてすぐに申し込みをしました。

赤裸々なご自身のこれまでの経験を生で聞き、心が痛くなることも多くありながら、教員として何ができるのかを再確認することができました。

岐阜県で教員をされているディスレクシアの当事者である神山忠先生とは、平成15年度の特総研の短期研修でご一緒さていただき、それ以来の友人ですが、南雲さんの本当に伝えたいこと、「真っ向から向き合って対話してくれる大人の存在」が必要で、それが今の自分につながっているという事実は、神山さんと共通していて、カリスマティック・アダルトの存在の重要性の本質を確認することができました。

昨日の久喜特支での研修で、2時間半話し続けて人生初めて声を枯らしてしまい(マイクを使用していつもながらぼそぼそと声を張らずに話をしていたのですが…)、医者から「極力しゃべるな」と忠告されていましたが、どうしても当事者の立場から、また内閣府から任命されて委員を務めている立場から、「日本における合理的配慮」についてのご意見を伺いたくて質問をしました。

その答えとして、これまで障害による困難から、小さいことで大きく傷ついてきている子どもたちがたくさんいるということ、その傷が、アドボカシ―(権利擁護)として、不必要な言いっぱなしの障害者を生み出しているということ(教師の無自覚な責任の重さ)、これからはそのような傷つけることがない社会を形成していくことが大事ということを教えていただきました。

当事者の話から得ることは実に大きい。

ご本人のこれまでの人生経験は、今、障害を抱えつつ、障害ということ知らずに苦戦しながら生きている子どもたちにとって、大きな道しるべであり、「生きている価値の無い存在」とか、「ダメな自分、なんて馬鹿なんだ」なんて自分を責める必要はなく、そんな自分でも「大丈夫、未来は希望に満ちているよ」というメッセージを心の底から伝えているのだと、「生きている意味」を考える機会を改めて与えてくれるものだと思いました。本当に今日は心を揺さぶられ、勉強になりました。

研修会後、2008年に読んだ「私たち発達障害と生きています」(ぶどう社)を読み返さずにいられませんでした。

                                                   畠山