そのおことばをすなおになぞると
伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,
日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。
その想いは、いかに伝統を現代に生かすか
天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後葬儀に関連する行事が,1年間続きます。
その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。
その棺を安置する場所をも指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)という。
巷では、生前退位が取り上げられていますが
皇室の伝統として死者を大切に弔うお心の現れと思えます。
2012年(平成24年)4月26日、宮内庁は、天皇や皇后が崩御した際の埋葬方法を、今上天皇(明仁)および皇后(美智子)の意向により、旧来の土葬から火葬に変える方針で検討すると発表。翌2013年(平成25年)11月14日、宮内庁は今上天皇及び皇后美智子の埋葬法を正式に火葬にて行うと発表。合わせて二人の陵を一体的に整備する事で従来の陵より小さく作る事も発表した。(当初は天皇と皇后を一緒に埋葬する合葬も視野にいれ検討されたが、正式決定時には二人の陵を寄り添う形で作ると定められた)これにより、江戸時代初期から350年以上続いてきた天皇・皇后の葬儀と埋葬方法は今上天皇の代では大きく変わることとなった
現代にいかに伝統を現わすか考えてのことなのでしょう。
重い殯が二カ月、葬儀の行事が一年の伝統
それは、魂の中心に死者の魂を結ぶ儀式
神里に作られた敬霊塔
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重き魂の連なりの中心に楔を打つように連なる魂
神里を作られた出居清太郎氏
祈りの言葉
ひかりあまねきうつしよにかみのことしてうませたまう
このことはりをいまここにこころのそこよりさとりつつ
おおみこころにもとづきてけふいちにちをはらひたまえきよめたまひ
皇心に基づきて今日一日を祓いたまえ清めたまえ
天皇がスメラミコト(統べる帝)となる伝統を現わしているように思えます。