3月の11日、12日、南島原の公民館と廃校になった小学校で「そば会」を
やることになった。昨日素敵なパンフをなつきくんがつくってくれたので、
「長屋茶房 天真庵」のHPの表紙にアップしてみた。小学校が、かわいらしくて、一見の価値がある。
昨年の11月に縁あって、島原の名刹にて蕎麦会をやらせてもらった。それが「島原の乱」よろしく
南島原まで飛び火したかたちになった。今回は島原の乱の舞台になった原城の跡地に宿泊しながら、
地元と人たちとそば交流を行う予定だ。沖縄にはじめていった人が、しばらく沖縄の話をするようになる
のを「沖縄病」という。島原や南島原にいくと、骨董病にも似て、不治の病のように、かの地の話をするようになる、
くらい自然といい、人といい、素敵な場所だ。魚もうまい。島原の「ペシコ」にいくと、疑いもなく「うまい」がわかる。
長い鎖国時代に、唯一外国との交流があった場所なので、いろいろな文化が育まれた場所。
京都の黄檗山万福寺で隠元和尚がひろめた「お茶」も、もともとは長崎から始まったものだ。
島原半島にも、煎茶を愛好した先人があまたねむっておられる。今回は「そば」がメインだけど、
できたら、この地で煎茶会をやってみたいと、思っている。南島原に「くちのつ巷焙煎所」という
のが今月オープンした。主人のなつきくんは、ぼくの珈琲とそばのお弟子さまである。煎茶は
まだ教えていないけど、昨年引っ越し祝いに床の間にかける軸として「楓橋夜泊」をおいてきた。
床の間といえば、本来は仏様のことで、華道も茶道も、そこから生まれた場所である。仏教も
キリスト教の玄関みたいな「くちのつ」で、お店をやる、というのは、歴史的な一ページかもなんばん。
今日は「満つまめの会」
味噌作りもある。
明日明後日が「無茶しぃの会」と「卒啄焙煎塾」 無茶しぃの会は、まさに「煎茶道」を少し体験する会。