12月23日(月)
朝食

ワルシャワ観光 ワジェンキ公園はポーランド・ワルシャワ市内、中心部よりやや東側に位置する公園です。ポーランド最後の王、ポニャトフスキーがここにワジェンキ宮殿を建造したため、そのまま公園名になりました。
敷地面積は76万m2もあり、植物園や劇場があって、ヨーロッパでも美しい公園として知られています。ショパン像は、バラ庭園に囲まれ、この公園のシンボル的存在と言われています。夏の間、日曜日に開かれるショパン・コンサートが有名です。
ショパンのベンチ。音楽が流れます。
リスト像

ショパン像
リスや野鳥が一杯、孔雀もいます。


水上宮殿ワジェンキ宮殿は、ワジェンキ公園の池のほとりに建つ宮殿です。水に浮かんでいるように見えることから水上宮殿とも呼ばれる美しい宮殿で、ワルシャワの観光名所。



車窓
聖十字架協会 17世紀の終わりにユゼフ・べロッティの設計で建てられましたが、2つの塔を持つファザードはユゼフ・フォンタナとヤクブ・フォンタナによってつくられました。
下の階にはお墓があり、上の階にはたくさんのポーランドの著名人の墓碑銘や追悼文が飾られています。この教会はショパン一家が通っていた教会として有名で、ショパンの心臓が入った壺が安置されました。第二次世界大戦で教会は半壊し、ショパンの心臓も持ち出されたましたが、戦後に再建され1945年10月17日の命日に聖十字架教会に戻されました。現在ショパンの心臓は本堂左手の石柱の下に埋められています。


ここにもショパンのベンチ。
また、教会の前には地動説を唱えたポーランドの歴史学者、コペルニクスの像も立っています。

後方に残ってるのは戦前の壁の一部です。

ショパンも通ったワルシャワ大学。
英雄記念碑 ダヤ人歴史博物館の目の前、ワルシャワゲットーの跡地に建てられている大きな記念碑です。
ゲットーとはユダヤ人隔離地域のことで、ここから何万人もの人々が強制収容所に送り込まれた。
あのような悲しい歴史を二度と繰り返してはならないと感じさせられる場所。
記念碑の中央は蜂起指導者、ポーランド系ユダヤ人であるモルデハイ・アニエレヴィッツとのこと。

ワルシャワの建設は13世紀頃より始まり、その発展はめざましく、北のパリと呼ばれていました。しかし、第二次世界大戦によりワルシャワの約8割は消失してしまいます。
その後、ワルシャワ市民が復興に立ち上がり、煉瓦のヒビに至るまで精密に再生し、見事に当時のワルシャワを復元したのです。その功績が認められ、ワルシャワは現在世界遺産に登録されています。



























バルバカン バルバカンと呼ばれる砦は、15~16世紀に城壁の一角に造られた赤レンガの円形状の砦。ここがワルシャワの旧市街と新市街の境目になっています。バロック様式の砦で馬蹄形をしていますが、このような形の砦はポーランドのワルシャワとクラクフ、フランスのカルカソンヌにしか残っていないそうです。当時は火薬庫や牢獄として使われていましたが、第二次世界大戦で破壊され、戦後にワルシャワ市民によって復元されました。










自由行動では教会やお土産店を見ながら散策

昼食デザートにポンチキ 16世紀に誕生しドーナツの原型となったといわれるポンチキは、ポーランド人にとっては“おばあちゃんの味”であり、朝ごはんやおやつなどとして食べる馴染み深い食べ物。
カレーパンのジャム入りのような感じです。
午後3時ごろ、皆さんでホテルに戻りその後自由行動。電車や地下鉄など乗りたかったのですが雨。そして辺りは暗くなっています。明日は3:30発なので近所のスーパーへお土産など買いに行き部屋食にしました。
ホテルの近くなので行きたかったですが雨と暗いので諦めました。、ポーランドが旧共産時代に「スターリンからの贈与」という名目で造られたものですがお金はポーランド。
シャワーして適当にビール飲んで荷物詰めておやすみです。ワルシャワ二連泊
朝食


ワルシャワ観光 ワジェンキ公園はポーランド・ワルシャワ市内、中心部よりやや東側に位置する公園です。ポーランド最後の王、ポニャトフスキーがここにワジェンキ宮殿を建造したため、そのまま公園名になりました。
敷地面積は76万m2もあり、植物園や劇場があって、ヨーロッパでも美しい公園として知られています。ショパン像は、バラ庭園に囲まれ、この公園のシンボル的存在と言われています。夏の間、日曜日に開かれるショパン・コンサートが有名です。












水上宮殿ワジェンキ宮殿は、ワジェンキ公園の池のほとりに建つ宮殿です。水に浮かんでいるように見えることから水上宮殿とも呼ばれる美しい宮殿で、ワルシャワの観光名所。




車窓





聖十字架協会 17世紀の終わりにユゼフ・べロッティの設計で建てられましたが、2つの塔を持つファザードはユゼフ・フォンタナとヤクブ・フォンタナによってつくられました。
下の階にはお墓があり、上の階にはたくさんのポーランドの著名人の墓碑銘や追悼文が飾られています。この教会はショパン一家が通っていた教会として有名で、ショパンの心臓が入った壺が安置されました。第二次世界大戦で教会は半壊し、ショパンの心臓も持ち出されたましたが、戦後に再建され1945年10月17日の命日に聖十字架教会に戻されました。現在ショパンの心臓は本堂左手の石柱の下に埋められています。








また、教会の前には地動説を唱えたポーランドの歴史学者、コペルニクスの像も立っています。




後方に残ってるのは戦前の壁の一部です。

ショパンも通ったワルシャワ大学。


英雄記念碑 ダヤ人歴史博物館の目の前、ワルシャワゲットーの跡地に建てられている大きな記念碑です。
ゲットーとはユダヤ人隔離地域のことで、ここから何万人もの人々が強制収容所に送り込まれた。
あのような悲しい歴史を二度と繰り返してはならないと感じさせられる場所。
記念碑の中央は蜂起指導者、ポーランド系ユダヤ人であるモルデハイ・アニエレヴィッツとのこと。





ワルシャワの建設は13世紀頃より始まり、その発展はめざましく、北のパリと呼ばれていました。しかし、第二次世界大戦によりワルシャワの約8割は消失してしまいます。
その後、ワルシャワ市民が復興に立ち上がり、煉瓦のヒビに至るまで精密に再生し、見事に当時のワルシャワを復元したのです。その功績が認められ、ワルシャワは現在世界遺産に登録されています。



























バルバカン バルバカンと呼ばれる砦は、15~16世紀に城壁の一角に造られた赤レンガの円形状の砦。ここがワルシャワの旧市街と新市街の境目になっています。バロック様式の砦で馬蹄形をしていますが、このような形の砦はポーランドのワルシャワとクラクフ、フランスのカルカソンヌにしか残っていないそうです。当時は火薬庫や牢獄として使われていましたが、第二次世界大戦で破壊され、戦後にワルシャワ市民によって復元されました。










自由行動では教会やお土産店を見ながら散策


昼食デザートにポンチキ 16世紀に誕生しドーナツの原型となったといわれるポンチキは、ポーランド人にとっては“おばあちゃんの味”であり、朝ごはんやおやつなどとして食べる馴染み深い食べ物。

カレーパンのジャム入りのような感じです。
午後3時ごろ、皆さんでホテルに戻りその後自由行動。電車や地下鉄など乗りたかったのですが雨。そして辺りは暗くなっています。明日は3:30発なので近所のスーパーへお土産など買いに行き部屋食にしました。

シャワーして適当にビール飲んで荷物詰めておやすみです。ワルシャワ二連泊