元気印

毎日元気に過ごす私の出来事

別荘行き⁉️尿路結石症

2020-01-27 16:39:21 | その他
1月18日
午前1時頃腰痛で寝られない。昨日少し荷物が重く満員電車で吊革を持っていましたが、体勢が悪く、脊柱管狭窄の所の痛みと思いました。その後腹痛、悪寒、嘔吐。夕食がすき焼きだったので生卵?かな?嘔吐で一晩寝られず土曜日ですがホームドクターに。レントゲン、エコーで腎臓が真っ黒に写ってます。数週間前に年一度の検査を受けた所。その時の映像と違っています。点滴に吐き気止、痛み止を入れて落ちつきました。泌尿器科に行きましたが診察時間間に合わず。
1月21日
過去に結石二回手術している泌尿器科へ。やはり結石です。
病名は左尿管結石性閉塞を伴う水腎症となっています。尿管と腎臓にも石.尿管の石も4mmを超えると手術。手術には色々な方法があります。①自然排出 ② 体外衝撃波砕石術 ③ 開腹手術 ④ 経尿道的結石砕石術 ⑤経皮的腎結石破石術。  私は体質?20数年前はステントを入れて④の方法で。 20年前は②の方法で手術。  7×6ミリなので④の手術に。運良く土曜日に手術キャンセルが出たのです。
そのまま入院前の色々な検査をしました。住所の違う保証人がいります。息子にラインで「入院するので保証人よろしく」
「ゆっくりカラダ休めておきよ」「人生もう少ししかないので、遊ぶわ」そんなやり取りをして予定通り遊びからカルチャースクールまで毎日こなしました。
1月24日 
ラインでお嫁ちゃんから「明日お父さん気をつけてね。」私「飯炊き婆さんです。」この主語の無い文章で息子達はてっきりお父さんが入院とインプットされたまま。飯炊き婆さんの意味がわからないまま。
1月25日
10時入院。12時から点滴開始。午後3時半手術。全身麻酔で1時間半。その後3時間安静。安静時間が終わり息子にラインで「無事に終わったよ。お金を貯めて上げず、石を溜めて心配かけてごめん」返事は「ほんまや」
そしてお父さんが電話。息子「親父元気そうな声やん。明日見舞いに行くからお母さんに帰りメシ行こうと言って」
「オイオイ、お母さんが入院してるのやで」で大笑い。私に似て早とちり、始めにインプットされたままの息子家族です。
夫に「術後部屋に戻ったら写真写してよ」。「なんでや?」 「ブログアップして石で心配してる人達に大丈夫のメッセージせな。元気印やから」 痛みも不安もありませんが、トイレが近いのだけが大変です。今回はオシッコの袋は付けていません。点滴や心電図のコードが付いたままなのと、ステント、点滴でオシッコは待ったなしWW

一晩この状態です。
午後8時半26時間ぶりの夕食。
1月26日
朝心電図のモニターは外れました。
朝食は寂しいです
いつもの様にコーヒー、サンドイッチ、フルーツ入りヨーグルトが食べたい。
でも食べれない子が沢山いる事を感じて完食しました。危険に晒されず飢えに泣かずにいられるのは幸せです。
11時半昨日のお昼からの点滴は一度中止。針は残しておきます。
昼食はカレーピラフ。認知症に良い食事?WW。

夫と息子が来てくれました。父と母の入院間違いで又大笑いです。
3時から又点滴です。夕方仕事帰りのお嫁ちゃんが来てくれて幸せ。みんなに心配かけています。
6時ごろまでに点滴二本?二袋?しました。そして一旦中止。
夕食。
1月27日
検温、血圧などが終わり朝食

レントゲンの結果を見て退院が決まるそう。良かったです。熱も無いので退院が決まりました。血尿はステント抜くまである様です。最後の点滴に約2時間。11:30にはお支払いも終えました。
来週月曜日にステントを抜きます。
2泊3日あっという間です。これで安心です。帰宅後遠方に住む娘に事後報告。又主語の無い文でお父さんが入院したと思ったで大笑い。笑っておける入院で良かったです。



コメント (4)
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