阪神石屋川集合。紅葉を見ながら石屋川沿いに歩きます。
綱敷天満神社の御旅所 を見ながら東に向かい西芳寺へ。
大銀杏に門は素晴らし透かし彫り、瓦には西と書かれてます。
禅昌寺に立ち寄り
緑地公園のモニュメントを見ながら御影公会堂に立ち寄ります。加納治五郎資料室も見学。 国の登録有形文化財
作家の故野坂昭如さんの小説「火垂るの墓」に登場し、レトロな洋館として知られる神戸市東灘区の市立御影公会堂公会堂は神戸市初代営繕課長の建築家清水栄二が設計し、1933年に完成。太平洋戦争の空襲や95年の阪神大震災にも耐え、震災当時は避難所にもなった。船体に似た外観が特徴で、鉄筋コンクリート地上3階、地下1階。
最古の石屋川隧道跡現在石屋川公園には、トンネルがあったことを示す説明板が置かれている。
大阪・神戸間に日本で2番目の鉄道を通す際、当時の車両は勾配に弱かったことから、天井川であった芦屋川・住吉川・石屋川はトンネルを開削し、その下を通すことになった。その中でも、最初に開削されたのがこの石屋川トンネルである。1871年(明治4年)7月に竣工し、1874年(明治7年)の鉄道開通で供用が開始された。設計はイギリスからのお雇い外国人によってなされ、水流を仮の木橋で変えていったん川を取り崩し、レンガを積みトンネルを組み立てた後、再び川を埋めなおすという開削工法がとられた。東海道本線の全通後、1894年(明治27年)には輸送量の増加にあわせ同線の複線化が決定する。この時はトンネルの下半分を掘り下げ、垂直にする工法が取られた。さらに1919年(大正8年)には複々線化に対応するための工事が行われる。この時、トンネルは解体されて4線を越える水路橋となった。1976年(昭和51年)には高架化のため、石屋川の地盤強度を高める必要から埋め立てられた。
綱敷天満宮まで歩きます。珍しい特殊神事「綱打祭」があるようですこの珍しい特殊神事は、「綱打祭(つなうちまつり)」と呼ばれ、文治2年(1186)より始められている。
1月8日に氏子の代表者が、小網36本(閏年は37本)を12本ずつ3束にして練り合せ太く逞しい大綱を作り、注連柱に3巻き半に巻くように張り渡し、8本の白矢を突き刺し、多くの榊葉を束ねて下に吊し、御幣と麻緒を付ける。『大綱は龍を表し、8本の白矢は八色雷公を意味し諸々の災いを除き、罪穢を祓い清める。この注連柱全体が祓具であり、ここを潜り抜けることによって1年間無病息災に暮らせる。』と言い伝えられる。
ここで解散。御影公会堂の食堂に行く人、私たちはお弁当持参。紅葉の下でひと時を過ごし阪急御影まで歩きました。
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