元気印

毎日元気に過ごす私の出来事

天草。池島の旅 No1

2024-11-02 23:02:14 | 旅行

昨晩11時大分県中津に神戸、千葉から合流して旅を楽しみます。

中津6時半に出発。天草に向かいますが台風の影響もあってか、大雨。深耶馬渓あたりは道幅も狭く川があり洪水のごとく雨が山から滝のように流れてて恐怖を覚えます。そこから阿蘇山あたりは暴風雨そして。濃霧で目の前が見えません。前の車のライトがほんの少し揺らぐのが見える程度です。

11時すぎに愛の天草村に到着。雨はほぼやみました。15mの日本で一番大きな天草四郎の銅像があります。目的の温かいちくわを食べることができませんでしたがたくさんお買い物をしました。

天草四郎ミュージアム見学

リゾラテラスに行きウニコロッケとコーヒーを昼食にしました。

バカな私は天草は長崎県と思っていましたが熊本県でした。九州本土とは天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれています。禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定されました。ほとんどが長崎県で漁村の中に佇む教会や歴史を感じさせる神社、風情ある家々やかわいい猫がいっぱい。世界遺産教会は熊本県に﨑津集落一か所です。

観光ガイドさんを1時間半お願いしていました。

 

﨑津教会は、長崎の建築家・鉄川与助によって設計されたゴシック様式の教会で、現在の教会は、1934年(昭和9年)、フランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建された。教会は、尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式で、その堂内は国内でも数少ない畳敷きになっている。建てられた土地は、ハルブ神父の強い希望で、弾圧の象徴である絵踏みが行われた吉田庄屋役宅跡が選ばれた。この禁教時代に厳しい絵踏みが行われた場所に、現在の祭壇が配置されたと言われている。1569年(永禄12年)、ルイス・デ・アルメイダ神父によってキリスト教の布教が行われたこの地では、1638年(寛永15年)の禁教令以後、激しい弾圧を受けながらも約250年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきた。この教会は「海の天主堂」とも呼ばれ、教会が建つ漁港一帯は、1996年(平成8年)、日本の渚百選「キリシタンの里 﨑津」に選ばれ、2001年(平成13年)には、日本のかおり風景100選「河浦 﨑津天主堂と海」、2011年(平成23年)には、天草市﨑津の漁村景観が「国の重要文化的景観」にも選ばれている。

資料館、うまかもん通りではイチジクパン購入。ガイドさんのお話で歴史がよくわかりましたし観光客も最近は減り、閑散としてしまったそうです。ネコちゃんはいっぱい。

天草五橋は素晴らしくお天気になり良かったです。予約していたホテルはキャンセルして急遽空きがでたお魚のおいしいと評判の若松屋の変更。

11種類のお刺身と魚のスープにデイチェコカッペリーニと言うパスタいり、スープ

鰻巻き卵、シーラのフライ、タイのあら炊き、ブリカマ塩焼き。一品ずつ説明をしてくれます。食べきれなかった。

午前中は大変でしたが午後からは旅びよりでした。

 


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