千鶴おばさんのダイエット&日々の徒然日記 (過去の太極拳)

メタボ検診で黄信号「痩せなさい」先生より命令が出ました
幾多のダイエット繰り返してもままならないこの体何とかしなきゃ

源氏物語の舞台を訪ねて

2009-08-27 18:56:46 | 源氏物語
,07年3月に当時の「源氏物語を歩く」講座が相馬先生のご病気で、
突然打ち切られた。

今日から再び先生は替わられているが「源氏物語の舞台を訪ねて」を
受講することにした。
既に半分ぐらい終了していると聞き些か焦ってはいる。

今回訪れた須磨と明石は以前にも参加した箇所ではあるが、
久しぶりに懐かしい場所に戻った。

村上帝社

平安時代の末、太政大臣藤原師長は琵琶の名人であったが、
唐に渡って一層奥義を極めたいと願い、都を出て須磨にやってきた。
しかしその夜、村上天皇と梨壺女御(なしつぼにょご)の霊が夢に現われ、
琵琶ひきの妙手を師長に伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、
「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰った。



須磨の関

下の写真は明治初年土中から見つかった石碑です。正面には「長田宮」、
側面には「川東左右関屋跡」と書かれています。
出土された場所は東方100mに暗渠となった千森川と旧西国街道の、
交叉する地点であった。

須磨の関がどこにあったかは3説あり、現光寺・関守稲荷神社・多井畑厄神の、
いずれかの近くに在ったという説である。



源氏寺
正しくは、藩架山現光寺(ませがきさんげんこうじ)です。
 江戸時代の地誌では、ここが光源氏の居住地と伝えられており、
昔は「源光寺(げんこうじ)」・「源氏寺(げんじでら)」とも呼ばれていました。



須磨寺

須磨は源平興亡の舞台となった地で、須磨寺にも平敦盛の首塚などの史跡があり、須磨寺境内には源平の庭が作られ、平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を、
実物大のモニュメントで再現しています。
宝物館には、平敦盛の青葉の笛、甲冑、書画などの展示源平ゆかりの品や、源平合戦にまつわる資料の展示、日本最古の一弦琴などが保存されています。
他にも、境内には義経腰掛松、弁慶の鐘、敦盛首洗池といった史跡も残されています。

 


無量光寺

光源氏の屋敷だったとされ、小さな赤色の「源氏稲荷」が片隅に建っている。
山門は戦災をまのがれ美しい姿をとどめている。
総欅造りで名工左甚五郎が作ったと伝えられている。

無量光寺の前にある細い道「蔦の細道」は、光源氏が「明石の君」が住む「岡部の館」へ行く為に通った道だとされている。明石入道の「浜の館」は、隣の善光寺(戒光院、円珠院の総称)付近にあったとされている。



移動の途中、昼食をお寿司屋さんで取りました。
敦盛寿司です、盛り合わせですがさば寿司にうのはな(玉子かなぁ)まぶしは
初めて食べました。
可成り大盛りですがほとんど完食しました、美味しかった。