昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

環境ホルモン濫訴事件:陳述書に見える価値観

2006-12-27 01:43:56 | 裁判
 「環境ホルモン濫訴事件:中西応援団」で、新たな書証等がUPされていました。
 今回取り上げるのは、原告が証人申請していた熊本県立大学環境共生学部・食環境安全性学講座の教授である有薗光司さんの陳述書です。
 なお、 裁判所は本陳述書の提出を受け、人証の必要はないと判断しています。
  有薗さんがどのような方かは全く存じ上げないのですが、少しこの陳述書を検討してみようと想います。
(全文はこちら→甲23号証 )

 原告側の証人(予定)ですから勿論、内容は原告の主張に沿ったものになっています。大きくは3点。
1)被告雑感は事実ではない。
2)被告雑感の記述によって、原告の名誉は毀損される。理由は、シンポ会場には中西雑感の記述により原告に失望するであろう立場の研究者も多かったからである。
3)原告のプレゼンテーションは、環境ホルモン研究者にとってはよく分かりかつ興味深いものであった。

 以下、私が気になった点を、原文を引用しながら記載します。

4 このセッションで座長を努めた中西準子氏は、松井氏が研究代表者だった文部科学省科学研究補助金特定領域研究(1)「内分泌撹乱物質の環境リスク」の公募研究の審査委員(主査)をしており、私もこの特定領域研究に加わって研究を続けてきました。この研究は9億円もの補助金を使った大変重要なものでした。
 中西氏は、ダイオキシン問題は空騒ぎだったという文章も書き、また環境ホルモン問題についても、マスコミや一部の学者が誤った情報を流したなどと主張しておられる方ですが、それでも上記研究の審査委員(主査)を勤められたのです。私はその中西氏が、上記セッションのはじめに「私自身は環境ホルモンやダイオキシンなど内分泌攪乱化学物質に関してそれほど詳しい人問ではありませんし一一」と述ベセッションを始められたので、おかしな発言をするものだと違和感を覚えて』いました。


中西さんの専門は環境リスク学である、とすれば、例えば化学物質の内分泌かく乱作用だけを研究している訳ではないのですから「それほど詳しい人間ではない」旨の発言も特に違和感はないように思います。逆に、「詳しい」と言われるためにはどれだけの経験なり実績なりが必要なのか、という点についての認識のずれの問題ではないかという気がします。おそらく、中西さんが「詳しい」と言うためのハードルはかなり高めなのでしょう。

5 セッションの中で松井氏はただ一人の環境ホルモン問題専門家として、リスクコミュニケーションの前提となるリスクについてご自分の研究成果を発表しました。特に松井氏の研究室が解明したインディルビン、インディゴの代謝についての説明は非常に興味深いものでした。会揚でも、もともと環境ホルモンの研究者向けの国際会議ですので環境ホルモン問題についてバックグラウンドのある参加者(研究者)には、松井氏の発表はスムースに飲み込まれたはずです。

 いち素人の私にはここが分からない。インディルビン、インディゴの代謝に関する説明は、なぜ興味を惹くのでしょうか。というより、原告は準備書面等で、「人体内でインディルビン、インディゴが産生されていることを世界で初めて発見した」と、その実績をことさら強調しているのですが、これは専門家からすれば「凄い事」なのでしょうか、という疑問です。

最後に述べた「インディルビン研究及びダイオキシンを中心とした環境ホルモン研究で得られた成果を生かす(松井氏の)次のチャレンジはナノ粒子です。」という趣旨の一言を「環境ホルモン間題は終わった。」という趣旨だと理解したのは間題です。松井氏の発言を全部理解すれば、松井氏がみつけたインディルビン・インディゴ研究の成果をナノ研究へも応用できるという趣旨であることは当然理解できたはずです。

 これは本当かな?テープ反訳をもういちど確認してみましょう。

もう一つ、最後になりますけど、我々は予防的にどうやって次の問題に比べるのか、今回学んだ環境ホルモンの研究はどうやって生かせるのか。私は次のチャレンジはナノ粒子だと思っています。ご存知のようにナノテクノロジーがこれからどんどん進展します。私はそのこと自身は非常に重要と思います。人類が地球上で生存するために大変重要な技術とおもいます。しかし、ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。我々はこのナノ粒子の問題にどのように対応できるかが一つのチャレンジだと思っています。時間が来たのでここまでにします。

どうでしょう。ナノ粒子についての言及はここだけです。ここで示された京都新聞の見出しは「ナノ粒子 脳に蓄積」というものです。スライドには本文も映ってはいたでしょうが、中西さんには見えなかったとのことです。聴衆にもどれだけ見えたでしょうか。

つまり、ナノ粒子の話を出す前には、確かにインディゴ、インディルビンの(というかダイオキシンの)解毒機構の話をしています。そして、話の流れ上、それが「細胞内に蓄積するから問題なのだ」という趣旨の発言である必要があります。
再びテープ反訳から該当箇所を探すと、以下のものがそれに該当しそうです。

インディルビンとTCDDとほとんど同じ領域の遺伝子を動かしている。いったいどこに毒性の差があるのかということになってきたんですけど、TCDDはなかなか体内から出て行かない、しかし、インデルディンはすみやかにOHラジカル、CYPが動いてそれ自身がインディルビンに作用してOH基が勝つことによって、その次にサルフェイという芳香体が出来てすぐにおしっこから出てくる。その差に大きな点が出てきたわけです。

「TCDDはなかなか体内から出て行かない(から毒性の差がある)」+「ナノ粒子 脳に蓄積」→「蓄積することが共通だ」
だから、
「松井氏がみつけたインディルビン・インディゴ研究の成果をナノ研究へも応用できるという趣旨であることは当然理解できたはずです」
ということになるようです。

私の疑問は
「これだけの情報源で、当日プレゼンを見聞しただけでここまで理解できるものだろうか?」
「よしんば専門家なら理解出来たとしても、『リスクコミュニケーション』をテーマとしたセッションで、そういうレベルのプレゼンをするのはあまりに不親切ではないか?」
というものです。
そして、中西さんが問題にしているのは、まさしく上記2点目のことのはずです。

ですから、ちょっと飛びますが、有薗さんが、
松井氏が新聞記事を示したことは事実ですが、ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす、だからインディルビン・インディゴ研究の成果を利用して、これからナノ粒子の評価にチャレンジしようと思っているとの趣旨で発言されたと思います。ナノ粒子の科学的評価が必要であることは中西民にも異論はないはずです。当日、松井氏は原著書論文の趣旨を説明する時間的ゆとりがなかった可能性もあります(実際にナノ粒子のところは時間切れで終わっていると思います)から、松井氏が新聞記事だけでナノの有害性を主張したととられる趣旨の文章をホームページに記載したのは不適切であったと思います。
と述べているのはどうかと思う訳です。
 まず、「ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす」ことが確実かどうかが分かっていないのが現状でしょう。だからこそリスク評価をしなければならないのであって、つまり、ここでは、分からない事は「分からない」と言うべきなのではないでしょうか。なぜ「ナノ粒子の科学的評価が必要」であることと「ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす」ということが等価で言われなければならないのか。
もう一度テープ反訳を引用すると、

しかし、ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。

と言っている訳です。私にはここの部分、「新聞記事はナノ粒子が環境汚染を起こすと書いてあり、かつそれは真実だ」と言っているようにしか聞こえません。もちろん、上記には原論文についての言及はありません。そして、ここでの中西さんの指摘は、「原論文を松井さんが読んでいるか読んでいないか」を問題にしている訳ではなく、「新聞記事を引用して発表するなら、少なくとも記事のもとになった論文に基づいた発言をしないと、誤解を招くことになるのではないか、それは本シンポのテーマの『悪い見本』ではないか」ということであると思われます。
また、有薗さんは「松井氏が新聞記事だけでナノの有害性を主張したととられる趣旨の文章をホームページに記載したのは不適切であったと思います」と述べているわけですが、反訳を見る限り、松井さんはナノの有害性については新聞記事だけで主張しています。「毒性の作用機序の要素のうち『排出が遅い』ことが重要であり、ダイオキシンとナノ粒子はそこに共通点があるかもしれない」という主張は、特に「ナノ粒子に関する」研究データや論文に基づいて発言されている訳ではないのですから。

最後に、

3) 松井氏は、前記公募研究グループのリーダーで、この研究に加わった研究者は総数300人位に昇ります。中には松井氏を直接知らない人もいます。こういう人達は、役に立たないと言われ続け、研究費がなかなか出ない地味な基礎研究をコツコツ続けてきたのです。そしてこのグループ研究に参加して、自分たちの基礎研究が環境ホルモン問題の解明に役立ったということを知り、喜びと誇りを感じていたはずです。


ここまではまあいいでしょう、しかし、


 そういう人たちが、中西氏のホームページを読んでその内容を信じたら、「松井氏は何という人だ。9億円もらって自分たちを利用しただけなのか!時流に乗って金がつく間だけやり、金がつかなくなったらすぐ次の問題に移ってしまう人なのか!」と思うことは明らかです。また「松井氏が原論文も読まず、新聞報道だけで問題提起するような底の浅い人なのか!」と思い・松井氏に対する信頼感、尊敬の念を失い、自分たちの研究に対する熱意さえ失うことになりかねません。


 このように続くと、なんだかおかしな話になるような気がします。なぜなら、松井さんがどんな人であれ、自分達の研究が環境ホルモン問題の解明に役立ったと言う事実は変わらないのだから、その喜びが左右される事も特段ないはずだからです。つまり、前段と後段で因果関係が成立していない。

ところで、ここで見られる「研究グループのリーダー像」って、何なのでしょうね。
 素直に読むと「研究者というものは、自らの研究テーマそれ自体ではなく、そのテーマを掲げたリーダーへの信頼感や尊敬の念で研究意欲を抱いている」という風にしか読めないのですが。
そんなことってあるの?そんな訳はないでしょう!
 それでは、「松井さんは自分の研究に予算を付けて脚光を浴びせてくれたから尊敬する」っていうのが、研究者の価値観だ、ということになってしまう。
 研究とは、そんな人間関係のみで意欲が左右されるものではないでしょう。本人が重要なテーマだと思えば、松井さんに頼らずとも自分で何とか予算の都合をつけて研究を継続しようとするものなのではないですかね?

 私は、外野の勝手な意見かもしれませんが、研究者が研究を、研究者を評価するときは、その「研究内容」に依っていただきたいと思います。ここで述べられている見解は「研究者社会における研究者の評価は、その研究者の人物像で左右され、研究内容や研究実績は考慮されない」という意味に取れて仕方が無い。そういう要素が入る事は否定しませんが、本来、それが全てではない筈です。

(追記)
中西さんの人証の調書がUPされていました。
ダイオキシンの毒性機構とナノ粒子の毒性機構との関連性については、「ナノ粒子はサイズに起因する毒性が疑われるのであって、ダイオキシンの細胞内での動きと共通性があるとは思えない。だから、当日のプレゼンで両者の関連が分かるということはなかったし、法廷で出された説明を聞いても『それは違う』という意見」と、一刀両断です。言われてみれば確かにそのとおりで、「蓄積」という言葉からの連想は、まあ着想としてはいい・・・といったところでしょうか。ここは、松井さんの研究成果に期待しましょう。是非いい結果を出して頂きたい。
 あと、ついでに書いてしまうと、神山弁護士の尋問がすごかったですね。「生まれてこれないリスクについては調べることができないですよね?」ってこれ、モロに悪魔の証明でしょう。大体、調べることができないリスクを心配する根拠って何なのよ。
 他にも、神山弁護士は理系で教官が研究室を持つことがどういうことかイメージ出来ていないようだし、もう少し準備しても良かったんじゃないかなあ。

 
コメント
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