体調はまだ回復しない。最近、金曜日はボロボロである。一昨日も、妻はソファで、私はキッチンで寝た(流しの下に温風吹出口があり暖かいのだ)。寝袋を買ったのは、じつは失敗だったのかもしれない。
流石に、翌日はちゃんと二階のベッドで寝た。妻共々、なんと10時間も寝てしまった。最近、8時間以上寝ると腰が痛くなる。どうも、若い頃よりも寝返りを打たないらしい。就職3年目までの超激務だった頃以来、そうなってしまった。
実は金曜日までに終えられなかった仕事を一部持ち帰っていたのだが、手つかずで終わってしまった。こまごまとした雑用の合間をうまく使えず、まとまった時間が取れなかったのと、そういう時間を読書に充ててしまったことが原因だ。
もっとも、おかげで『BRAIN VALLEY』は読了した。感想を書きたいが、タイトルの通りである。もう寝ないと。
しかし一点だけ。約10年前に書かれたこの作品で、私の宗教学的な問題意識に対する一つの仮説が提示されている。「宗教がヒト共通の要素だとして、なぜヒトは神を見るのか、あるいは求めるのか」。この小説では、神はコンピュータによるシミュレーション上の「仮想生命」のようなものであるとされる。といっても、決して神を矮小化している訳ではない。作品世界では、コンピュータの中の仮想生命と、実際の生命は等価であることが示される。そして、神はヒトの脳に発生した仮想生命のようなものであり、すなわちそれは、ヒトの脳を住処とする生物だ、ということになる。従って、神は自らが繁殖するために、信仰を広めるようヒトを動かす。逆に言うと、そうすべきことを命じられる様な神観念が生き残り、広まる。神秘体験は信仰の契機及び強化因子となるため、これを起こすような脳機能が選択される。この説の肝は、「ヒトの生存に有利な形質だから選択された」のではなく、「神が増える為に有利なヒトが選択され、増える」のであるということにある。「生物は遺伝子の乗り物」という言い方があるが、ここでは「ヒトは神の乗り物」である。無論、遺伝子のほうは、実際には誤解を招きかねない位、実際の生命活動の複雑さを思い切って捨象した言い方であり、が故に印象的な言葉である。それと同様な図式を、あえて「神」に対して使っているのがこの小説だ。そしてこれは、『神は沈黙せず』で言及されたミーム論に等しい。しかしこの二作品は、共通の素材を用いつつ、違った料理法で私達を楽しませてくれる。瀬名は、シミュレーション上の生命を、我々と同じリアリティにまで「引き上げた」のに対し、山本は、神を一般的な観念よりさらに高次の存在と位置づけることにより、我々をシミュレーションと同等の地位に「下ろした」。SF的センス・オブ・ワンダーでは山本に軍配が上がる(率直にいうと、発表後10年を経過しようという『BRAIN VALEY』の描写は、特に終盤の破壊的スペクタクルが、逆にベタすぎて古くさい感じがする。「日本映画のパニックシーンだなぁ」という。)。しかし、現実の人間解釈としてより興味深いのは瀬名だ。瀬名の回答がどれだけ真実に近いかどうか、そんなことは考えても分かる筈はないが、少なくとも「なぜ宗教的なものを持つ様にヒトは進化したか」の回答として、不自然ではない気がする。もっと専門的に勉強すれば色々反論材料があるのかもしれないが。
しかし、10年前か。私が宗教と生物学的ヒトとの関係を内心のテーマにしていた大学時代を終えてから(すなわち、卒業後)3年目だ。丁度、激務のピークを過ぎた辺りである。あの頃は、小説を読める気分ではなかった。あの頃読んでいれば、大学時代の問題意識がより強く記憶に残っていたであろうから、また違った感想を持ったかもしれない。
流石に、翌日はちゃんと二階のベッドで寝た。妻共々、なんと10時間も寝てしまった。最近、8時間以上寝ると腰が痛くなる。どうも、若い頃よりも寝返りを打たないらしい。就職3年目までの超激務だった頃以来、そうなってしまった。
実は金曜日までに終えられなかった仕事を一部持ち帰っていたのだが、手つかずで終わってしまった。こまごまとした雑用の合間をうまく使えず、まとまった時間が取れなかったのと、そういう時間を読書に充ててしまったことが原因だ。
もっとも、おかげで『BRAIN VALLEY』は読了した。感想を書きたいが、タイトルの通りである。もう寝ないと。
しかし一点だけ。約10年前に書かれたこの作品で、私の宗教学的な問題意識に対する一つの仮説が提示されている。「宗教がヒト共通の要素だとして、なぜヒトは神を見るのか、あるいは求めるのか」。この小説では、神はコンピュータによるシミュレーション上の「仮想生命」のようなものであるとされる。といっても、決して神を矮小化している訳ではない。作品世界では、コンピュータの中の仮想生命と、実際の生命は等価であることが示される。そして、神はヒトの脳に発生した仮想生命のようなものであり、すなわちそれは、ヒトの脳を住処とする生物だ、ということになる。従って、神は自らが繁殖するために、信仰を広めるようヒトを動かす。逆に言うと、そうすべきことを命じられる様な神観念が生き残り、広まる。神秘体験は信仰の契機及び強化因子となるため、これを起こすような脳機能が選択される。この説の肝は、「ヒトの生存に有利な形質だから選択された」のではなく、「神が増える為に有利なヒトが選択され、増える」のであるということにある。「生物は遺伝子の乗り物」という言い方があるが、ここでは「ヒトは神の乗り物」である。無論、遺伝子のほうは、実際には誤解を招きかねない位、実際の生命活動の複雑さを思い切って捨象した言い方であり、が故に印象的な言葉である。それと同様な図式を、あえて「神」に対して使っているのがこの小説だ。そしてこれは、『神は沈黙せず』で言及されたミーム論に等しい。しかしこの二作品は、共通の素材を用いつつ、違った料理法で私達を楽しませてくれる。瀬名は、シミュレーション上の生命を、我々と同じリアリティにまで「引き上げた」のに対し、山本は、神を一般的な観念よりさらに高次の存在と位置づけることにより、我々をシミュレーションと同等の地位に「下ろした」。SF的センス・オブ・ワンダーでは山本に軍配が上がる(率直にいうと、発表後10年を経過しようという『BRAIN VALEY』の描写は、特に終盤の破壊的スペクタクルが、逆にベタすぎて古くさい感じがする。「日本映画のパニックシーンだなぁ」という。)。しかし、現実の人間解釈としてより興味深いのは瀬名だ。瀬名の回答がどれだけ真実に近いかどうか、そんなことは考えても分かる筈はないが、少なくとも「なぜ宗教的なものを持つ様にヒトは進化したか」の回答として、不自然ではない気がする。もっと専門的に勉強すれば色々反論材料があるのかもしれないが。
しかし、10年前か。私が宗教と生物学的ヒトとの関係を内心のテーマにしていた大学時代を終えてから(すなわち、卒業後)3年目だ。丁度、激務のピークを過ぎた辺りである。あの頃は、小説を読める気分ではなかった。あの頃読んでいれば、大学時代の問題意識がより強く記憶に残っていたであろうから、また違った感想を持ったかもしれない。