長野県小諸市に行ってきた。
小諸で聖地巡礼というと、今では「あの夏で待ってる」らしいのだが、私は小諸駅について痛電があるのを見て魂消た位なもので、まったくもって本作品のことを知らずにいる。
私にとっての小諸は「すくらっぷ・ブック」の舞台にして、作者・小山田いく先生の故郷にほかならない。
私が本作品に始めて触れたのは確か小学校1年のころである。少年チャンピオンの中で、かわいいキャラクターがコメディタッチかつハートフルな物語を展開するこの作品を、なぜか気に入った。
その後、小学3年になり、生家の近所に初のコンビニが出来た。そこで、何とはなしに手に取ったのが「すくらっぷ・ブック」の5巻。その魅力を再発見し、以後はコミックスを買い集め、連載も追うようになる。
それから30余年、ようやくあの物語の舞台を訪れることができた。
いささか体調がよろしくないのが悔やまれるのであるが。
東北新幹線から長野新幹線を乗り継ぎ、軽井沢でしなの鉄道に乗り換える。
鉄道の写真
軽井沢駅のホームでは、花嫁、花婿姿の二人が撮影をしていました。観光用写真か、本当の新婚さんか。
30分ほどで小諸に到着。
まずは、上に記した痛電に驚く。
「あの夏で待ってる」の痛電。
駅の改札を出る。以前は国鉄の駅だったが、今は少々様変わり。とはいえ、JR小海線もこの駅に接続している。
こもろ駅
小諸市コミュニティバスのバス停、および車体に、小山田先生のイラストが書かれている。ここで少しほっとした。
バス停留所
バス車体
小諸といえば懐古園、といいたいところであるが、「すくらっぷ-」巡礼者としてはまず、芦ノ原中学のモデルとなった芦原中学校に行かなければならない。そして、どうしても外せないのは「みっちゃん」こと桜井光代の実家「カメラさくらい」のモデル「桜井写真商会」である。まずは後者を目指す。
(今回の小諸散策では「実録 小山田いくの世界」様を大変参考にさせていただいた。感謝申し上げます。)
今ではiPhoneで自在に詳細な地図を参照できるため、みっちゃん生家の発見は造作もないことであった。駅から5分少々の商店街の一角に、桜井写真商会は存在している。写真も撮影したが、私邸につき掲載は控える。なお、店舗を出入りする長身の凛とした女性を拝見した。果たしてモデルご本人であろうかと想像する。
コースを変え、芦原中学校を目指す。おそらく長野新幹線開通に伴う整備によるものだろうか、高架に並走する幹線道路はきれいに整備され、おそらく30年前の面影はない。やや外れたコースを取り目的地を目指す。
道沿いの渓谷と紅葉
ここでもiPhoneが大いに役立つ。10数年前であれば長野新幹線もなく、これほど手軽に小諸を楽しむことはできなかったであろう。正直、熱烈な読者だった頃のピュアな感性を思い出すのはなかなかに難しい年齢となってしまったのだが、しかし、今でなければ、多忙の合間を縫い、風邪気味の身体で、それなりの「聖地巡礼」をすることもまた困難だった筈である。そんなことを考えつつ、道みちの風景を撮影しながら、「芦ノ原中学校」に到着した。
時間は昼休み。校庭にも人影はなく、逆に安心して写真撮影。
ここから眺める浅間山は、さえぎるものがなく好いロケーションであった。
「芦ノ原中学校」(あえてこう呼ぶ。)を後にし、今度は幹線道路を小諸駅方面へ戻る。途中、セブンイレブンがある。「むじな注意報!」での秀やんの言葉「俺たちがお前たちくらいのときはコンビニもケータイもなかったが…」という台詞が思い出される。30年の時は長い。しかして、寡作となりながらも、小山田いく先生は今も現役で漫画を発表している。率直に、素晴らしいと感じる。
さて、今回の観光の目玉、懐古園である。
懐古園は小諸駅周辺の城跡の一角を占める。
芦原中学校からの帰路にある大手門をまず見物し、
三の門をくぐって入場。
折角なので付属施設の観覧も可能な500円の入園券を購入。ここにも「なつまちノート」なるものが。
一番の目的とする水の手展望台(最終話での担任・正木先生の言葉が印象的!)は後のお楽しみにとっておき、ここではまず小諸動物園を見物する。
私は鳥好きでもあり、本ブログのタイトル画像にもなっているコンゴウインコ類が2羽いるとなれば、何はさておき会いに行かずにはいられない。ここの動物園に居るベニコンゴウインコは、なんと1966年生まれ。私より年上だ。大型のインコ・オウム類は100年生きるのが珍しくないが、実際に自分より年上の鳥に出会うのは趣深い。
・・・と思って、コンゴウインコが展示されていると思しき場所を発見したが、はて、姿が見えない。
奥に進むと、寒いからか、ビニールで風除けを施されたケージ内に彼らを発見。間近に触れ合うことができずに残念であった。写真はケージの下方から撮影。
「すくらっぷ-」で雅一郎の台詞に登場するツキノワグマ(写真撮影を失念)や、ライオンのペアなどの大型獣も居り、
私の大好きなペンギンもまったりとしていた。
小さいながらも楽しめる、ゆる~い動物園を堪能した。
そこから一旦戻り、石垣と紅葉を眺めつつ、水の手展望台に至る。
ここから見下ろす千曲川は、「すくらっぷ-」最終話から想像するよりはるかに遠景にあった。
東京電力のダム取水口(復刊「すくらっぷ・ブック」所収「どっぐいやあ」に登場)も一望できる(写真左手)。
ひとしきりの施設を見物したのち、園内のお蕎麦屋さんで遅めの昼食と休憩。頭痛がひどく難儀したためでもある。
店内に置かれたノートにはやはり「あの夏-」の聖地巡礼などと記載があった。私は当然、「小山田いくの聖地巡礼に訪れた」旨を記載したのであった。
付属の各施設を観覧し、私の懐古園探訪は終了。
短いながらも、それなりに満足できる旅路でありました。ただ、体調不良だったことだけが、ひどく悔やまれる。
今回、翌日にお台場のガンダムフロント東京を訪ねるため、東品川に宿を取った。体調が悪く、即寝のあと、夜中に起きてこの記事を部屋備え付けのTVパソコンから投稿しているが、そこで初めて、小諸ほか小山田いく世界ゆかりの地を詳細にレポートした下記サイト様を発見!
「すくらっぷ・ブックを持って、小諸に行こう!」
小山田いく作品の小諸ガイドブック
私がネットを始めたころは、小山田ファンサイトは数えるほどしかなく、現地レポサイトもなかったのだけれど、いい時代になったものです。
今回、体調不良で回りきれなかった場所も、これらのサイトを閲覧することで、ほぼ満足できました。
(小宮山雅一郎先生が10年前に歯科医院を開業されていたとは!「すくらっぷ-」ファンとしてとても嬉しくなる報告でした。)
さて、実際に訪れた小諸は、実に「坂の町」でした。以前訪れた尾道にも匹敵するほどの。
浅間山から千曲川に向かう斜面にこの町は形成されています。「すくらっぷー」等では、あまり坂を印象づけられないのですが、懐古園自体もかなりアップダウンがあり、こもろ駅の門前町も同様に、浅間山方面への上り坂に形成されています。
まあ、考えてみれば仙台も青葉山の山裾にへばりつくように町が広がっている(津波被害のあった若林区の海岸近辺から中心市街地を眺めるとよく分かる)。町の中心部と城跡が直結しているのですから、仙台でいえば青葉城址のごく近くに鉄道の駅があるようなもの。あの辺りだけ切り取れば仙台もかなりの「坂の町」と思えるでしょう。逆に、仙台駅周辺と、七夕や光のページェントで有名なケヤキ並木のあるアーケード街だけを歩いていれば、仙台は至って平坦な町に思えるはず。
要は、坂の上り下りが堪え、体調不良が返す返すも悔やまれる旅でした。おそらく、小諸に来る機会、2度目はない、と思いますので(本業多忙につき)。
体調不良でなければ、そして上記2サイトをもっと早く知っていたら、小宮山歯科医院や、雪のエアポートなどもぜひ訪れてみたかったものです。しかし、このときは本当に体力を使い果たしており、いずれこれ以上の探訪は不可能でありました。
小諸で聖地巡礼というと、今では「あの夏で待ってる」らしいのだが、私は小諸駅について痛電があるのを見て魂消た位なもので、まったくもって本作品のことを知らずにいる。
私にとっての小諸は「すくらっぷ・ブック」の舞台にして、作者・小山田いく先生の故郷にほかならない。
私が本作品に始めて触れたのは確か小学校1年のころである。少年チャンピオンの中で、かわいいキャラクターがコメディタッチかつハートフルな物語を展開するこの作品を、なぜか気に入った。
その後、小学3年になり、生家の近所に初のコンビニが出来た。そこで、何とはなしに手に取ったのが「すくらっぷ・ブック」の5巻。その魅力を再発見し、以後はコミックスを買い集め、連載も追うようになる。
それから30余年、ようやくあの物語の舞台を訪れることができた。
いささか体調がよろしくないのが悔やまれるのであるが。
東北新幹線から長野新幹線を乗り継ぎ、軽井沢でしなの鉄道に乗り換える。
鉄道の写真
軽井沢駅のホームでは、花嫁、花婿姿の二人が撮影をしていました。観光用写真か、本当の新婚さんか。
30分ほどで小諸に到着。
まずは、上に記した痛電に驚く。
「あの夏で待ってる」の痛電。
駅の改札を出る。以前は国鉄の駅だったが、今は少々様変わり。とはいえ、JR小海線もこの駅に接続している。
こもろ駅
小諸市コミュニティバスのバス停、および車体に、小山田先生のイラストが書かれている。ここで少しほっとした。
バス停留所
バス車体
小諸といえば懐古園、といいたいところであるが、「すくらっぷ-」巡礼者としてはまず、芦ノ原中学のモデルとなった芦原中学校に行かなければならない。そして、どうしても外せないのは「みっちゃん」こと桜井光代の実家「カメラさくらい」のモデル「桜井写真商会」である。まずは後者を目指す。
(今回の小諸散策では「実録 小山田いくの世界」様を大変参考にさせていただいた。感謝申し上げます。)
今ではiPhoneで自在に詳細な地図を参照できるため、みっちゃん生家の発見は造作もないことであった。駅から5分少々の商店街の一角に、桜井写真商会は存在している。写真も撮影したが、私邸につき掲載は控える。なお、店舗を出入りする長身の凛とした女性を拝見した。果たしてモデルご本人であろうかと想像する。
コースを変え、芦原中学校を目指す。おそらく長野新幹線開通に伴う整備によるものだろうか、高架に並走する幹線道路はきれいに整備され、おそらく30年前の面影はない。やや外れたコースを取り目的地を目指す。
道沿いの渓谷と紅葉
ここでもiPhoneが大いに役立つ。10数年前であれば長野新幹線もなく、これほど手軽に小諸を楽しむことはできなかったであろう。正直、熱烈な読者だった頃のピュアな感性を思い出すのはなかなかに難しい年齢となってしまったのだが、しかし、今でなければ、多忙の合間を縫い、風邪気味の身体で、それなりの「聖地巡礼」をすることもまた困難だった筈である。そんなことを考えつつ、道みちの風景を撮影しながら、「芦ノ原中学校」に到着した。
時間は昼休み。校庭にも人影はなく、逆に安心して写真撮影。
ここから眺める浅間山は、さえぎるものがなく好いロケーションであった。
「芦ノ原中学校」(あえてこう呼ぶ。)を後にし、今度は幹線道路を小諸駅方面へ戻る。途中、セブンイレブンがある。「むじな注意報!」での秀やんの言葉「俺たちがお前たちくらいのときはコンビニもケータイもなかったが…」という台詞が思い出される。30年の時は長い。しかして、寡作となりながらも、小山田いく先生は今も現役で漫画を発表している。率直に、素晴らしいと感じる。
さて、今回の観光の目玉、懐古園である。
懐古園は小諸駅周辺の城跡の一角を占める。
芦原中学校からの帰路にある大手門をまず見物し、
三の門をくぐって入場。
折角なので付属施設の観覧も可能な500円の入園券を購入。ここにも「なつまちノート」なるものが。
一番の目的とする水の手展望台(最終話での担任・正木先生の言葉が印象的!)は後のお楽しみにとっておき、ここではまず小諸動物園を見物する。
私は鳥好きでもあり、本ブログのタイトル画像にもなっているコンゴウインコ類が2羽いるとなれば、何はさておき会いに行かずにはいられない。ここの動物園に居るベニコンゴウインコは、なんと1966年生まれ。私より年上だ。大型のインコ・オウム類は100年生きるのが珍しくないが、実際に自分より年上の鳥に出会うのは趣深い。
・・・と思って、コンゴウインコが展示されていると思しき場所を発見したが、はて、姿が見えない。
奥に進むと、寒いからか、ビニールで風除けを施されたケージ内に彼らを発見。間近に触れ合うことができずに残念であった。写真はケージの下方から撮影。
「すくらっぷ-」で雅一郎の台詞に登場するツキノワグマ(写真撮影を失念)や、ライオンのペアなどの大型獣も居り、
私の大好きなペンギンもまったりとしていた。
小さいながらも楽しめる、ゆる~い動物園を堪能した。
そこから一旦戻り、石垣と紅葉を眺めつつ、水の手展望台に至る。
ここから見下ろす千曲川は、「すくらっぷ-」最終話から想像するよりはるかに遠景にあった。
東京電力のダム取水口(復刊「すくらっぷ・ブック」所収「どっぐいやあ」に登場)も一望できる(写真左手)。
ひとしきりの施設を見物したのち、園内のお蕎麦屋さんで遅めの昼食と休憩。頭痛がひどく難儀したためでもある。
店内に置かれたノートにはやはり「あの夏-」の聖地巡礼などと記載があった。私は当然、「小山田いくの聖地巡礼に訪れた」旨を記載したのであった。
付属の各施設を観覧し、私の懐古園探訪は終了。
短いながらも、それなりに満足できる旅路でありました。ただ、体調不良だったことだけが、ひどく悔やまれる。
今回、翌日にお台場のガンダムフロント東京を訪ねるため、東品川に宿を取った。体調が悪く、即寝のあと、夜中に起きてこの記事を部屋備え付けのTVパソコンから投稿しているが、そこで初めて、小諸ほか小山田いく世界ゆかりの地を詳細にレポートした下記サイト様を発見!
「すくらっぷ・ブックを持って、小諸に行こう!」
小山田いく作品の小諸ガイドブック
私がネットを始めたころは、小山田ファンサイトは数えるほどしかなく、現地レポサイトもなかったのだけれど、いい時代になったものです。
今回、体調不良で回りきれなかった場所も、これらのサイトを閲覧することで、ほぼ満足できました。
(小宮山雅一郎先生が10年前に歯科医院を開業されていたとは!「すくらっぷ-」ファンとしてとても嬉しくなる報告でした。)
さて、実際に訪れた小諸は、実に「坂の町」でした。以前訪れた尾道にも匹敵するほどの。
浅間山から千曲川に向かう斜面にこの町は形成されています。「すくらっぷー」等では、あまり坂を印象づけられないのですが、懐古園自体もかなりアップダウンがあり、こもろ駅の門前町も同様に、浅間山方面への上り坂に形成されています。
まあ、考えてみれば仙台も青葉山の山裾にへばりつくように町が広がっている(津波被害のあった若林区の海岸近辺から中心市街地を眺めるとよく分かる)。町の中心部と城跡が直結しているのですから、仙台でいえば青葉城址のごく近くに鉄道の駅があるようなもの。あの辺りだけ切り取れば仙台もかなりの「坂の町」と思えるでしょう。逆に、仙台駅周辺と、七夕や光のページェントで有名なケヤキ並木のあるアーケード街だけを歩いていれば、仙台は至って平坦な町に思えるはず。
要は、坂の上り下りが堪え、体調不良が返す返すも悔やまれる旅でした。おそらく、小諸に来る機会、2度目はない、と思いますので(本業多忙につき)。
体調不良でなければ、そして上記2サイトをもっと早く知っていたら、小宮山歯科医院や、雪のエアポートなどもぜひ訪れてみたかったものです。しかし、このときは本当に体力を使い果たしており、いずれこれ以上の探訪は不可能でありました。