昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

政治とは何だろう

2012-11-20 21:37:07 | Weblog
ここ数年、社会問題よりも個人的な問題の方に心を割かれており、政治等についてまとまった意見を書きづらい。
個人的問題はようやく忘れることが出来つつある。ただ、心の澱として永遠に残るであろうし、おそらく私のスタンスは未来永劫変わらない。
それがどれほど大人げなかろうとも。

本題。
最近の記事「政治ネタ」で私は政権に注文を付けたが、野田さんは概ねこれをやってのけたと言えるのではないか。しかも逆風必至の中で、都知事選とのダブル選挙という政局カードまで切ってみせた。政治家としてなかなか大したものである。素直に感心する。
野田さん個人の評価はよいとして、では民主党全体に政権をまだ委ねられるかというとどうだろう。民意としてはやはり逆風なのだろう。
日本維新の会に関するネット上の評判も「民主党以上に経験不足の政治家の集合」とにべもない。確かにそのとおりだろう。
そういう意味で、以前書いた記事「政治が動いてきたので」にあるように、その政治家の政策と、政策実行力の両方を見極めなければ「良い選択」はなしえない。
選挙は有名人の人気投票であってはならない。これは有権者が突きつけられた厳しい現実である。

さて、維新の主張であるが、旧体制の破壊がある。
先日とある雑誌で、某ミュージシャンの言葉を読んだ。NHKスペシャル等で報道された、復興予算を被災地現地に使っていない事例に大変憤っていた。「それまでは官僚も頑張っていると思っていたが、あれを知ってから、どれほど優れた素質を持った人であっても、一度組織に取り込まれるとこのような馬鹿なことをしでかす。これは制度疲労というべきで、現在の官僚制度の解体も必要かもしれない」というものであった。

確かに、とも思う。
行政の現場では、ほんの10数人で数百億の予算の差配が決められている。特定の個人に「業務」(権限ではない)が集中している。したがって、例えば扱える業務量の限界を超える予算の配分を求めない、といった問題も生じている。それを「判断」する人が機能していないし、実際についた巨額の予算を、事務レベルで消化する能力もない、となる。
なお付言すれば、復興関連、とくにがれき処理等は、現場レベルでも資源が払底しており、どれほど厚く予算がついても、処理が加速するわけでもない。結果、復興はお金の問題とは別のリソースの問題で進まない。むろん、だからといって復興関連予算を、復興と直接関係しない事業に牽強付会で使ってよいということにはならない。
いずれにせよ、官僚制度がうまく回っていないのも事実である。ただしこれを破壊し、同時に複雑な内外の政治的課題に誰が対処するのだろうか?
ゆるやかな移行を進めるしかないか、東日本大震災のような国難への対応が拙くても、ドラスティックな改革を求めるのか。
前の衆院選で、ドラスティックな改革を民主党に求めた気もするが、その結果がどうだったろうか。
しかし「ゆるやか」は問題の先送りにしかすぎないのではないか。
なんだか「原発即時廃止」か「漸次廃止」かの議論にも似ている。我々はどちらを選ぶべきだろう。
私自身も答えを見出せないでいる。投票日まであと一月ない。