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昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

奈良女児殺害事件 被告人の死刑確定

2006-10-12 22:00:16 | Weblog
遅まきながら。
まずは以下のリンク先をごらん下さい。

ライブドアニュース(毎日新聞)

これを見ると、被告人は、いったん犯罪動機の形成過程について再度真実を述べたらどうか、という弁護士の勧めに応じる意思を示したものの、結局それを撤回して、当初の意向どおり死刑を望んだ、ということになります。

被告人のいう「(控訴すれば)命を惜しんだと思われる。何を言っても無駄」という発言が本心だとすれば(余り策を弄するタイプにも思えないので本心だとは思うが)、意外と自分への社会的評価を気にしているということが分かる。
他方、やはり「自分」にしか関心がないのか、とも思えるわけで、被害者への謝罪の気持ちを期待する向きには受け入れ難いことも事実だろう。

まあ、よく考えれば、被害者の写真を携帯に送って脅迫するなどの行為も、加害者-被害者間の関係以外の社会関係を意識していたことの証左だから、特に驚くべきことではないのかも知れない。

そして、死刑を望んでも、それを受け入れても、あるいはただ自殺しても、もしくは本心から謝罪し後悔しても、何をしても、社会はそれを受け入れることはない。それが、やったことの結果。

ひょっとして、被告人にとっては、今回の犯罪を行う前から、社会というのはそういうもの(自分を受け入れない)だと思っていたのかも知れないが、少なくともそれは違う。
犯罪を行う前と後では「受け入れられなさ」に質の差があるはずだ。
でも、こういう人間はそのことには気づかないのかも知れない。
一部には「人格形成のゆがみは虐待やいじめの結果だ」という主張もあるようだが、そういったことも含めて、成人については個人の責任とするしかない。現代の日本社会(および現代社会の多く)はそのように成り立っている。
(「ヒトには本当に自由意志があるか?」という問題。興味のある方はカント「実践理性批判」を読まれたし)
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