昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

活字欲

2014-10-13 22:37:14 | Weblog
先日「本屋を彷徨いたが頭を使うのが嫌で本を買わなかった」と書いた。
実はその際、1冊の本を探していた。原田実著「江戸しぐさの研究」。偽史系トンデモとして「水からの伝言」のように教育現場に浸透してしまったこの迷信を切り捨てる一冊。
先週末、それとは別にと学会が出した「日韓中トンデモ本の世界」と併せ、2冊を探しに、別の本屋に行った。
探す過程で、歴史系から文化人類学系の棚に目を移すと、以下の2書が目についた。
・『宗教を生み出す本能』
・『解明される宗教』
どちらも、生物としてのヒトが進化の過程で身につけた行動としての宗教に焦点を当てたもの。さらに後者は、現代アメリカの原理主義や宗教対立をテーマとしており、私が宗教学専攻に進んだ際の問題意識に非常に近い(平和や道徳を説く宗教がなぜ最も苛烈な対立と闘争の要因となるか、又、自死を厭わぬ強烈な信仰心は個人の適者生存と矛盾するが、進化史上の生物学的優位性は何処にあるのか、といったもの。今思えばミーム論で大体説明出来そう。)
パラパラめくってみると、文章は平易で読みやすい。今の鈍り切った私の脳味噌でも、読むだけなら出来そうではあったが、脳に余暇に使うだけの余力がないのと、劇的に面白そうなトピックはなさそうだったので、買うのはやめておいた。(2冊買うと1万円が飛んでしまうというのも大きな理由だが)

それよりも刺激的に思えるのは「ピダハン」の例だ。およそ抽象観念に乏しい言語を用いる彼らの世界には、神のようなものが存在しないらしい。それでいて、キリスト教の伝統では原罪と言われるような、仏教であれば四苦八苦と言われるような「苦悩」を持たないという。それはクリシュナムルティが述べる「今、ここ」の観念、アダムとイブが知恵の実を食べる前の楽園もかくやと思わせる。これまでは、ヒトに宗教(的観念)は必然的に伴うという仮定で考察を進めていたが、彼らのありようが聞き伝えられる通りであるならば、ヒトには必ずしも宗教(的観念)は必須ではないということになる。そして、その方がむしろ望ましいのかもしれないとも。

結局私は、上記トンデモ本書評2冊を購入し、連休中に惰眠をむさぼる合間の暇つぶしとしていた。

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