何と本シリーズ前回エントリーから半年以上経ってのVol37となりました。
ふと思い付いてシリーズ化させ、まあシモキタから私のジョギング範囲内(半径6㎞を目途)にある大使館を潰していったのが経緯。
その後も偶々出掛けた先で目にした大使館の様子をパラパラ取り扱って、自分自身のその国との関係などを備忘録的に記録していますが、尻切れ状態だったのは内緒でもない話^^;
さて、品川、御殿山の高級住宅街の中にこれだけの敷地をお持ちのこちら。
恐らく戦後賠償とか色んな絡みでこうなったのはフィリピン大使館なんかと同じストーリーなのでしょうが、こちらはしばらく経済的関係など途絶えがちでしたから、そういった意味で尋ねる人も少なかったか、と…
ところで、今回は久方振りにtokyoboyが訪問した経験のある国の大使館。
訪問時期は確か1998年か1999年初頭、アウンサンスーチーさんがようやく軟禁状態を解かれた頃。その後、再度軟禁状態に置かれますが…
そういった状況下で日本企業が同国への進出などまだまだ考えていなかった頃ではあるのですが、当時のシノギでの必要性からヤンゴン入りしました。
同国の政治状況などを受けてでしょう、日本には結構な数のミャンマー人の方がおられるようです。
記憶では東京で入国ビザが取れず、経由地のバンコク空港か、到着地でビザをゲットしたと思います。
従い、現地側カウンターパートからは招請レターが出ていましたが、ヤンゴン側での対応次第では入国できない可能性を理解した上でのフライトとなりました。
まあ、当時でも問題無く入国適いましたけどね。
丁度シャングリラ系のトレーダーズ・ホテルがヤンゴンに進出した直後で、宿泊、空港でのピックアップには心配しなくてよかったのが幸いでした^^
1泊の予定でのホテルチェックイン後は夕食(といってもホテルの中でしかチョイスも思い付きもしない時期でしたが)までの間にホテルから一直線、直ぐのところに見える「Sule Pagoda」まで往復したのが現地に触れた全て。
金色のパゴダで、中には涅槃仏がおわした
翌朝、差し回しの車で現地側カウンターパートのオフィスに表敬、1時間ちょっとのミーティング後ホテルに戻って荷物をピックアップ、空港へ向かった、が以上です…
という限られた経験ではありますが、ミャンマー人(正直、ビルマ人、と呼ぶ方がピンと来るんですが…)の方々とは以前働いたことのある国際機関で同僚として働いた何人かの方を存じ上げています。
彼らはねえ、優秀!
アウンサンスーチーさんをTVで見た方は、その居住まい、しゃべり方に優雅さを見て取るでしょうが、正にあんな方ばかりだったんですよ。
皆さん、オクスフォードやハーヴァードで学位を取った人ばかりで、性格も争いを好まず穏やか。”百鬼夜行”の国際機関では、従い損な場合も多かったと思いますが、若造、経験不足だった当時のtokyoboyは随分助けてもらいました。
家人はその奥方に英会話教わったりしていましたし…^^
そんな経験があったからか、全く知らない、地図も持たない東南アジア首都の雑踏においても不必要な警戒心とか持たず、いい感じで街歩きを楽しめました。
今や海外からの投資ブームが巻き起こっている、と伝えられているミャンマー。
でも、私の知る、素敵な優しさを保って行ってもらいたいものです…