祝!、第5,400番目記事。
地番的には上目黒、隣接は同じ名前の小学校ですから、南に蛇崩川の谷を見下ろす「烏森」、鎮守の森だった、と想像されます。
目黒区のサイトでは:
「烏森」という地名は、明治22年の町村制が施行されたときに、目黒村大字上目黒の字名として誕生した。それまでは、周辺を含めたこの辺り一帯を宿山と呼んでいた。地名が誕生してからの烏森の地域は、大正11年の町制を経て、目黒区が誕生した昭和7年に上目黒三丁目1646番地から1785番地となり、さらに43年1月の住居表示制度実施により、上目黒三丁目14番から27番、36番から44番となった。
蛇崩川を南にひかえ、東を目黒川の谷に接する半島状の丘陵、諏訪山の中腹にある。「烏森」という地名の起こりは数百年前から宿山の氏神としてまつられてきた烏森稲荷神社だといわれている。
とのこと。
宿山、という名は野沢通り沿いにある庚申塔を本ブログではリポートしています。
実はこれに先立ち、五本木から駒沢通りを上り、祐天寺辺りで帰途に付いたジョギングの際、
こちらを遠景で目にし、ジョギング圏内でこんな由緒ありそうな神社未だ在ったのか!と思った次第。
この日は確信犯、カメラをポッケに入れての再訪です。
近くに寿福寺(訪問記事はこちら)があり、そこに祀られた稲荷社が移転した、とか宿山の人々が新橋の烏森神社にお参りした帰り道、この付近で白い馬に乗った狐を見たとか、
の説があるそうです。
上述のように山、とは今は見え辛いですが高台への斜面途中にあるそれは、如何にも「アースダイバー」で語られるハレとケの中間、防御線…
間違いなく300年以上この地に鎮座されている筈ですが、未だに静かなたたずまいを残しています。
上手の赤い鳥居、抜けたところにこんなイタリアン??
「Cucina Regionale IO」と表札にはあります。
帰宅後調べると、どうもこのロケーションにはあの劇場型で有名になり、かつては三宿というか三宿稲荷の246反対側辺りに店を構えていた「藤巻激城」ではなかろうか、と…
更に調べると、上記の店名でFacebookを発見。
どうも10月頃開店した模様です??
この時点で「食べログ」には記載無し…