二面性
2015-05-02 | 日記
最近、本音で自分の言葉で自分の考えをどれほどの人が
発しているのだろうと感じる場面がよくある。
表面的に繕って誰かの言葉をそのまま借りて良く見せようと
しているのが見えて、とても違和感を私は感じる。
もちろん、それで一見上手に人付き合いができるのかもしれない・・・
斜めから観てしまうのかもしれませんが
見えるものは見えるので仕方がないです。
上手な言葉を並べなくても、本意は伝わるものです。
私は「本意」が何処にあるのかが大事だと感じています。
常に情報が飛び交い、いつでも誰にでもコメントでき
字という上では常に好きなだけ繋がっているような
気分にさせてくれる社会が現代です。
いい事も、心無いことも簡単に発することも出来ます。
顔や名前が見えない世界では自由に出来ることが
自分という存在を表舞台に立たせてだと出来なくなったり
借りてきた言葉を使うという不思議な現象は
益々加速しているようです。
自分が見えなくなりそうな気がしますが・・・
動物のカンや本能と人間として後から付け加えられていく
感情や感覚など、どちらも持ち合わせているだけに
ややこしくなるのかもしれませんね。
でも、このどちらの感覚もあるのが
人間だということを忘れてはいけませんね。