人間にはそれぞれ闇がある。
必ず光と闇の両方を持っている。
その性質の中でそれぞれの特性がより光が強く出ているのか
闇が強いのかという違いでしかないのだと思う。
だからこそ、自分で認識して取り組む責任がある。
誰かのせいではない。
それはきっかけになり、自分の性質を露呈させる原因になったかもしれないけれど・・・
人が集まると色々な問題が起こるのはそういったことからだ。
それぞれの闇が触発されやすい上に自分の問題として見ない場合が多いからだろう。
もっと、個々が自分に対しての取り組みをしたら世の中は大きく変わる気がする。
私は心理学者でもないし、何も分からないけれどそう感じる。
長いことこの世の中は物質的な取り組みばかりが優先されて
それが個人の素晴らしさを証明しているようになってしまった。
いい学校、いい会社、肩書、お金持ちの家族や家系・・・
これは魂の成長度を表しているものではなく、
個々の内面の素晴らしさとは何も関係がないということを理解しなくてはいけない。
それなのに、世の中の物資主義がどんどん激しくなるにつれ
表面的なものに憧れてしまう性質をいつの間にか刷り込まれてしまったのではないでしょうか。
そうなるにつれ、早くから学歴を求める親は幼稚園に上がる前の子供に
多くの習い事をさせるのが最重要課題だったり
有名な会社にいることだけが誇りだったり・・・
そうやって親は子供を導き、世の中は物質的な評価をする。
もっと、大事なことを見失ってしまっているのではないかと思う・・・
いつ、自分の責任に取り組むのか?
嫉妬、いじめ、怒りなど自分の心の動きをもっと観察して見ると原因は何か他にあるかもしれない。
自分の心の闇を知ろうとせずに、人にその闇をぶつけるのは間違っている。
誰かに自分の汚い感情をぶつけるのは筋違いかもしれないと考えてみる必要がある。
それぞれの感情、心の闇を多くするのか光を多くするのか・・・
簡単ではないことも多いけれど、向かい合ってみると光が見えてくるかもしれない。