随分前にこのブログをはじめて、ゆるゆる続けている。
自分の日記のようなものなので、アクセス数など気にしていないのも続けていられる理由かもしれない。
だから書いているときもあれば書かないときもある・・・
でも、フと読んでくれている人からしたらどう映るのだろう?と思った。
だからと言って、何が変わるわけでもないのですが・・・
なんでそんな風に思ったかというと、人は人を評価するのが好きだなぁ~と思ったりしたから。
20年位前に一年くらい働いていたところで、
別の店舗の人なのでたま~にお店に行ったときに挨拶する程度の人がいた。
私が辞める前に、彼女の仕事の話を聞きたくて一度だけ夕飯を食べたことがある。
それからずっとたって、たまたま共通の友達とお茶をすることになったのですが
後から「私が変わった。成長した。」と言っていたと聞いた。
これは外見ではなく「中身」と言うところがポイントなのですが、
彼女は私を良く知らなかったし、数時間のお茶の席で何が分かるのだろうと個人的には不快だった。
親しくもない人に自分のことを知ったような評価をされるのは嫌なものです。
それが「成長したね」なんていわれるのは上から目線で評価されているようで嫌です。
褒められたのかもしれないけれど、じゃあ前はどんなだったの?ともとれるし。
まぁ、私が偏屈なのかもしれないけど?
自分が気づかないうちにも成長や落ちてたり様々な内面の変化はあるもの。
人は人と同じ感覚とは限らないし、その人が内面をどれほど出しているかなんて
もっと分からないものです。
ましてや発する言葉やその深さ、受け取る言葉の意味や深さもそれぞれ違う。
それぞれの人生経験や魂の成長度によっても感覚が違うかもしれない。
自分の内面についてどれくらいの人が明確に分かっていて明確な言葉で伝えることが出来るだろう?
私は下手だし、あまり身近な人に伝えようとしていないのかも。
比較的オープンに話し理解しようとしてくれるのは一人くらいかもしれない。
それほど他人の内面のことに関して知らないのです。
普段の私が発している言葉と内面が全て同じとも限らない。
言葉にしないことも沢山あるし、言葉に出来ない感覚も沢山ある。
しゃべるのが上手くない人もいるし・・・
自分の内面を整理して認識して、的確な言葉にのせられるというのはとても難しいこと。
私もそうなのだから、きっと皆も同じようなのではないかと思う。
ときどき見かける、本音の無い会話は不思議に感じるけど・・・
だから、表面的なものだけや良く知らないものは評価できないし、
ましてや他人がその人自身の評価をすることには疑問がある。
自分の本音の話をするよりも他人の言動や考え方についてや
「きっとこうに違いない」と妄想する方が簡単でもありますから。
よく知っている人なら、言葉だけではない部分をしっかり観ることができる。
観ようとすればの話しですが・・・
人間って奥深い生き物ですね。