よく伝承とか引き継ぐ受け継ぐなど伝え続けているという意味のものがあり
それはとても大切で大事にされるべきもので、途切れさせてはならないものとしてある。
フッと思ったのですが、この人々が長い歴史のあるものに畏敬の念を抱いたり
感嘆する気持ちは、もしかしたら私たちと同じように続いている魂からくるものなのか?
一つの生では成し遂げられないこと、
または足りない何かを補い求めることを本能的に知っているのかなとも思う。
一人ひとりが持つ個性や特性は続く魂からのものだと私は感じるので
それをもっと自覚できたら一つ一つの人生で迷わなくても済むのに・・・
その迷いがまた個にとって必要なプロセスなのだとも思うのだけれど
つい楽な近道を求めてしまうのも人間らしさでもある。
個の特性をもっと生かせたらきっと世の中は大きく変わるような気がする。
私たちはあまりにも自分の魂から離れてしまっているのではないかと思う。
離れるというか、鈍感になってしまっている。
もっと、自分の魂に繋がりたい・・・
私はずっとそう思っている。
これからどうなっていくのだろう?
何をさせて貰えるのだろう?
ずっとやりたいことばかりの人生を手放して明け渡してみるときかな・・・
「正しいこと」とは何だろう?
まっとうな行いとは?
法に触れなければ正しいことの定義に収まるのか?
そんなことはない。
人を傷つけなければまっとうなのか?
そうともいえない。
では、正しいこととは?
例えば、家庭の事情を抱えながらも出来る範囲の中で一生懸命に働いても
生活ができずに死んでいくまたは死を選ぶ人がいるとする。
かたや、全くお金に困ってもいないのに(本人または援助があったり家族に十分な経済力がある)
上手く国の援助や助成、または様々な対策も使っていたりする人もいる。
知っている、知らずにいる・・・ それだけの差なのか?
では、税金対策などで家族の名義を使うのは?
あげたらきりがないけれど、正しい行いとは何だろうと思ったりする。
「正しいこと」をしっかり行っている人は案外少ないのではないかと思う。
法で裁かれることはないにしても、
「正しいこと」を行うのは人間にとって難しいことなのかもしれない。
魂にとっての「正しいこと」・・・
人間は様々な欲望がある。
その中から良かれと思って動いている。
法に触れない中で、善悪どちらも選択し行動している。
人間にとって正しいこと、魂から見ての正しいことは
少し離れて見極めないと混同しがちになるのかもしれませんね。