昨日、茶久良ヒーリングサロンに急遽お世話になることに・・・
そこでヒプノヒーリングと言うものを体験。
勿論ヒプノは知ってはいましたがどちらかと言うと、その技法や誘導の話し方に興味があり私自身の過去生にはそんなに興味はありませんでした。
それに過去生を知ることに高額を払うことにはあまり興味はありません。
もちろん、その過去生での出来事が何かしらの影響を今の生にあたえているとするなら、それを知って改善したり今に活かしたりする意味で大切だとは思っていましたが
私にとっては過去にどうしたとかなんだったかなんて興味が無く「今」や「それで何?どう活かせるの?」と言った今から未来のほうが興味の対象なのです。
お姫様だろうが、路頭に迷っている人だろうが何でもOKなのです。
それなのに、行ってしまいました・・・・
それも良く分からないまま、何をしてもらいに行くかさえハッキリしていない状態にも関わらず「とりあえず、行きます!」と言う感じで・・・・
勿論、お会いして「申し訳ないのですが、まだ何のコースか決めていないのです・・・」と言うと
シゲサン(施術者さん)はにっこりして「とりあえず行く!って言っていたから分かっていますよ」と・・・良かった~
行ってからも私の中でまだブツブツ葛藤が・・・
「そんなに払っていいの?何やってるの?どうしよう、どうしよう・・・」
先日のケイスケサンのワークショップだってエイヤー!!!と言うかなりの思い切りだったのに
今度はお勉強と言うより自分のためだけに、自分を知るためだけに・・・・それにこんなに使っちゃうの?
そうとう迷いましたケド・・・
去年、初めてある人のワークショップと言うものに出て、お金を使ったのが人生で初のお勉強代でした。
そのときも、勇気がいりました。
そこにいらっしゃっていたのは皆さんプロなど、お勉強というか知識が豊富な方たちでその金額は当たり前のように湯水のように何個ものコースをとって高額な料金を次々払っていました。
私はといえば、プロでもないので高額に思えましたし仕事の関係もあり一気に詰め込んでも私がついていけないと思いつつ、でも2コースまで参加・・・
迷っていたのにシゲサンと話していくと「それで」とやることが決まり早速開始。
なぜそれにしたかという理由は、「私自身を知る」と言うことと私が素晴らしいと思っているケイシーさんの療法を取り入れたものだったから・・・(興味があった)
おととしくらいに私がとても人生が(自分が)わからなくなっているときに偶然本屋さんで出合った本がエドガー・ケイシーさんの本で「目からうろこ」だったのです。
彼自身にも共感できる部分があったし、その言っていることなど人間の意識やもっと深いところにあるワンネスの部分との繋がりなど・・・
でも、ケイシー療法をやっている人にであったり彼のことを聞くのは初めてでした。(もちろん有名ですけど)
だから、即「それ」。
話が飛んでしまいましたが、結果からお話しすると良かったのだと思います。
始めは本当に私が観ているものなのか、ただ聞かれるから何かを答えたほうがいいので作り話をしている思い込み系なのか分かりません。
これは、今でも分かりません。(証明しろと言われたら出来ないから。でも、不思議なんです)
いつも言っているように私は何でも結びつけたり何でもシンクロだ~とか言ったり過剰な思い込みはイヤなのです。
疑い深いのですね・・・・
まぁ、でも私個人の考え方なので仕方ないです。
そんな感じのセッションです。
私の体験を書きますね。
大きな芝生の庭が広がる先に大きな大きな横長の長方形で窓が沢山ある(数階建て)建物を離れたところにある木々に隠れて見ています。
中で行われている大勢の人たちの罵声や怒鳴り声が怖いし見たくないのです。
私ははだしで、下を見ると生成り色(絹)のドレスを着ているようです。(少し汚れています)
胸元は分からないけれれど胴でギュッと締め付けているタイプのドレスです。
森に逃げています。
私について大勢の人たちも来ています。
私はどこへ行けばいいかどうすればいいかわかりません。
私はまだ若いのです。
でも、私がどこへいくのか決めている様子・・・
(ここは申し訳なくて言葉に出せませんでした。でも、後からお話しましたが・・・)
ここで、一人の女の子が私の換わりとして戻るようです。この女の子は私の世話をずっとしていた子です。
私が戻ると言うのに、私が戻ったら皆はどうするのか?と言って彼女自ら犠牲になっていく道を選びます。
私は申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうでしたが仕方ないのです。
私はみんなの生きる希望のようです。(多分自分の国のアイデンティティーを私に投影しているような・・・)
私がいることでみんなが唯一希望を失わずに恐怖と戦えているようです。
ある場所に小さな村をつくりました。
ただ、それぞれが生活のための役割を果たしているような
質素な村です。
何も揉め事もなく、ただそれぞれの役割をこなし仲良く生活しています。
私は弱って木でできたベットに横たわっています。
でも、中年くらいでそんなに年老いてはいません。
質素な小屋のような木でできた小さな家です。
近くに、私の面倒をずっと子供のときから見ていた年老いた男性が私を哀れむように見ています。
私は、いつも「これでよかったのか?みんなは幸せだったのか?」ずっとそればかり考えています。
でも、そんな答えは分かりません。
誰も教えれくれる人はいない中、若い私は常に選択をしていかなくてはならなかったのです。
だから、ずっと「これで良かったのか?」と、その答えを探して死んでいきました。
どうやら、ココでは「人間」と言うものについて学んだそうです。
「平和」も望んでいるよう。
私の奥深くでのことは(何を観たり経験しているかはあえて控えます。それぞれ思い込みをしてイメージを強く持たないように)・・・
これはクシャミしたりのどが詰まって咳がでそうになったり、チョットした途中休憩のハプニングもあり・・・
私にとっての課題は「信じる」と言うものにありそうです。
・・・・確かに今まで沢山試されてきたと改めて思いました。
そして「奉仕・支える」ということが大事らしい。
・・・・これはそんなイメージを取ったとき「もう散々したからイヤだ~!!」と反発したほどです。もう人の為に何かするのは止めようと決めていたくらい。
そして「流れにのる」
・・・・抵抗せずに流れに身を任せて行こうと今年は特に思っていた私自身の課題でした。
どうやら、私にはこと細かくは言ってくれないようで(もう言った、とか知ってるというような感じ)私はもっと自分を信じていけばいいのだと思いました。
この信じるって意味は「人」を、と言うこともありますが私にとっては「私自身」をということが大きなことだと思います。
未来の私は何かを教えているようです。
とっても真剣に・・・それもおこがましくて言えないような事を人々に教えています。(シゲサンに言うのでさえ恥ずかしかった・・・)
思わず、「なんて事を人様を前に言うの?」と恥ずかしくなりました。
私には「勉強しろ」と偉そうに言っています。
何だか、終わってからも私自身が作って適当に言っているのかなんだか良く確信が持てません。
意識はしっかりあるのですから・・・
でも、検証していくと全てつじつまが合うのです。
これ、全て私が言ったこと・・・
少しお話をしていると、何故かフッと涙が出そうになったので(何故か分かりません)恥ずかしいのでソソくさと帰ることに。
外に出たときも勿論意識はしっかりあるし、セッションを終えたばかりの時のようには頭もボーとしておらず大丈夫なはずなのに
駅までの道が分からなくなり駅とは逆方向に・・・しばらくして駅に着かないのでおかしいと思いましたが。(普段、一度通った道は間違えない方です)
電車にのると体が(上半身)100回スクワットした足元のように(次の日の筋肉痛ではなく直後の小刻みに震える感覚)小刻みに振動しています。
電車を乗り換えるために新宿駅に降りると
また、自分がどの位置に立っているのか、どっちにいっていいのか、全く思考できません。
まるで、脳みそにアルコールをかけてそこだけ酔っ払っているような感覚。
私はしっかりそこで意識しているのに、もっと頭の中が思考できないのですね・・・
電車の中でもボーとはしても意識はしっかりあるわけで、かといって本を読む気力はないので教わったことを復習していました。
立ったままいつの間にか意識が飛んでいました。(寝ているわけではないです)
地元について歩いているときも交差点で待っている間にも、フッと意識が飛びそうになって驚きました。
家まで送り届けてくれる人がいたほうが安全ですね。
こんな不思議な体験でした。
さてさて、これは昨日の体験で今日の件は次に引き続き・・・・・!
そこでヒプノヒーリングと言うものを体験。
勿論ヒプノは知ってはいましたがどちらかと言うと、その技法や誘導の話し方に興味があり私自身の過去生にはそんなに興味はありませんでした。
それに過去生を知ることに高額を払うことにはあまり興味はありません。
もちろん、その過去生での出来事が何かしらの影響を今の生にあたえているとするなら、それを知って改善したり今に活かしたりする意味で大切だとは思っていましたが
私にとっては過去にどうしたとかなんだったかなんて興味が無く「今」や「それで何?どう活かせるの?」と言った今から未来のほうが興味の対象なのです。
お姫様だろうが、路頭に迷っている人だろうが何でもOKなのです。
それなのに、行ってしまいました・・・・
それも良く分からないまま、何をしてもらいに行くかさえハッキリしていない状態にも関わらず「とりあえず、行きます!」と言う感じで・・・・
勿論、お会いして「申し訳ないのですが、まだ何のコースか決めていないのです・・・」と言うと
シゲサン(施術者さん)はにっこりして「とりあえず行く!って言っていたから分かっていますよ」と・・・良かった~
行ってからも私の中でまだブツブツ葛藤が・・・
「そんなに払っていいの?何やってるの?どうしよう、どうしよう・・・」
先日のケイスケサンのワークショップだってエイヤー!!!と言うかなりの思い切りだったのに
今度はお勉強と言うより自分のためだけに、自分を知るためだけに・・・・それにこんなに使っちゃうの?
そうとう迷いましたケド・・・
去年、初めてある人のワークショップと言うものに出て、お金を使ったのが人生で初のお勉強代でした。
そのときも、勇気がいりました。
そこにいらっしゃっていたのは皆さんプロなど、お勉強というか知識が豊富な方たちでその金額は当たり前のように湯水のように何個ものコースをとって高額な料金を次々払っていました。
私はといえば、プロでもないので高額に思えましたし仕事の関係もあり一気に詰め込んでも私がついていけないと思いつつ、でも2コースまで参加・・・
迷っていたのにシゲサンと話していくと「それで」とやることが決まり早速開始。
なぜそれにしたかという理由は、「私自身を知る」と言うことと私が素晴らしいと思っているケイシーさんの療法を取り入れたものだったから・・・(興味があった)
おととしくらいに私がとても人生が(自分が)わからなくなっているときに偶然本屋さんで出合った本がエドガー・ケイシーさんの本で「目からうろこ」だったのです。
彼自身にも共感できる部分があったし、その言っていることなど人間の意識やもっと深いところにあるワンネスの部分との繋がりなど・・・
でも、ケイシー療法をやっている人にであったり彼のことを聞くのは初めてでした。(もちろん有名ですけど)
だから、即「それ」。
話が飛んでしまいましたが、結果からお話しすると良かったのだと思います。
始めは本当に私が観ているものなのか、ただ聞かれるから何かを答えたほうがいいので作り話をしている思い込み系なのか分かりません。
これは、今でも分かりません。(証明しろと言われたら出来ないから。でも、不思議なんです)
いつも言っているように私は何でも結びつけたり何でもシンクロだ~とか言ったり過剰な思い込みはイヤなのです。
疑い深いのですね・・・・
まぁ、でも私個人の考え方なので仕方ないです。
そんな感じのセッションです。
私の体験を書きますね。
大きな芝生の庭が広がる先に大きな大きな横長の長方形で窓が沢山ある(数階建て)建物を離れたところにある木々に隠れて見ています。
中で行われている大勢の人たちの罵声や怒鳴り声が怖いし見たくないのです。
私ははだしで、下を見ると生成り色(絹)のドレスを着ているようです。(少し汚れています)
胸元は分からないけれれど胴でギュッと締め付けているタイプのドレスです。
森に逃げています。
私について大勢の人たちも来ています。
私はどこへ行けばいいかどうすればいいかわかりません。
私はまだ若いのです。
でも、私がどこへいくのか決めている様子・・・
(ここは申し訳なくて言葉に出せませんでした。でも、後からお話しましたが・・・)
ここで、一人の女の子が私の換わりとして戻るようです。この女の子は私の世話をずっとしていた子です。
私が戻ると言うのに、私が戻ったら皆はどうするのか?と言って彼女自ら犠牲になっていく道を選びます。
私は申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうでしたが仕方ないのです。
私はみんなの生きる希望のようです。(多分自分の国のアイデンティティーを私に投影しているような・・・)
私がいることでみんなが唯一希望を失わずに恐怖と戦えているようです。
ある場所に小さな村をつくりました。
ただ、それぞれが生活のための役割を果たしているような
質素な村です。
何も揉め事もなく、ただそれぞれの役割をこなし仲良く生活しています。
私は弱って木でできたベットに横たわっています。
でも、中年くらいでそんなに年老いてはいません。
質素な小屋のような木でできた小さな家です。
近くに、私の面倒をずっと子供のときから見ていた年老いた男性が私を哀れむように見ています。
私は、いつも「これでよかったのか?みんなは幸せだったのか?」ずっとそればかり考えています。
でも、そんな答えは分かりません。
誰も教えれくれる人はいない中、若い私は常に選択をしていかなくてはならなかったのです。
だから、ずっと「これで良かったのか?」と、その答えを探して死んでいきました。
どうやら、ココでは「人間」と言うものについて学んだそうです。
「平和」も望んでいるよう。
私の奥深くでのことは(何を観たり経験しているかはあえて控えます。それぞれ思い込みをしてイメージを強く持たないように)・・・
これはクシャミしたりのどが詰まって咳がでそうになったり、チョットした途中休憩のハプニングもあり・・・
私にとっての課題は「信じる」と言うものにありそうです。
・・・・確かに今まで沢山試されてきたと改めて思いました。
そして「奉仕・支える」ということが大事らしい。
・・・・これはそんなイメージを取ったとき「もう散々したからイヤだ~!!」と反発したほどです。もう人の為に何かするのは止めようと決めていたくらい。
そして「流れにのる」
・・・・抵抗せずに流れに身を任せて行こうと今年は特に思っていた私自身の課題でした。
どうやら、私にはこと細かくは言ってくれないようで(もう言った、とか知ってるというような感じ)私はもっと自分を信じていけばいいのだと思いました。
この信じるって意味は「人」を、と言うこともありますが私にとっては「私自身」をということが大きなことだと思います。
未来の私は何かを教えているようです。
とっても真剣に・・・それもおこがましくて言えないような事を人々に教えています。(シゲサンに言うのでさえ恥ずかしかった・・・)
思わず、「なんて事を人様を前に言うの?」と恥ずかしくなりました。
私には「勉強しろ」と偉そうに言っています。
何だか、終わってからも私自身が作って適当に言っているのかなんだか良く確信が持てません。
意識はしっかりあるのですから・・・
でも、検証していくと全てつじつまが合うのです。
これ、全て私が言ったこと・・・
少しお話をしていると、何故かフッと涙が出そうになったので(何故か分かりません)恥ずかしいのでソソくさと帰ることに。
外に出たときも勿論意識はしっかりあるし、セッションを終えたばかりの時のようには頭もボーとしておらず大丈夫なはずなのに
駅までの道が分からなくなり駅とは逆方向に・・・しばらくして駅に着かないのでおかしいと思いましたが。(普段、一度通った道は間違えない方です)
電車にのると体が(上半身)100回スクワットした足元のように(次の日の筋肉痛ではなく直後の小刻みに震える感覚)小刻みに振動しています。
電車を乗り換えるために新宿駅に降りると
また、自分がどの位置に立っているのか、どっちにいっていいのか、全く思考できません。
まるで、脳みそにアルコールをかけてそこだけ酔っ払っているような感覚。
私はしっかりそこで意識しているのに、もっと頭の中が思考できないのですね・・・
電車の中でもボーとはしても意識はしっかりあるわけで、かといって本を読む気力はないので教わったことを復習していました。
立ったままいつの間にか意識が飛んでいました。(寝ているわけではないです)
地元について歩いているときも交差点で待っている間にも、フッと意識が飛びそうになって驚きました。
家まで送り届けてくれる人がいたほうが安全ですね。
こんな不思議な体験でした。
さてさて、これは昨日の体験で今日の件は次に引き続き・・・・・!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます