私が住んでいる近くでは
この5年ほどの間に新築の一軒家が多くできて
若い家族などが住んでいる。
時々、空き家になった一軒家が
草やシダに絡まってすすぼけてしまっているのを見かける。
とても古いアパートでも住んでいる人がいると
まだ活気を感じられる。
広い土地で、立派な家でも
住む人がいなくなれば売られ、
更地になり何軒も建売が立っているのをよく見る。
空き家になって長い事そのままになっているのもあり
何だかそれは悲しい光景だ。
生きている間は、
これが欲しい、こんな家に住みたいと
色々な欲を持って少しでも多くの自分の欲を満たしたり
人から見た立派さを求めて、大きなものや多くのものを持つ。
いっときはそれが光り輝いて見えるかもしれないけれど
それは、使う人の「気」が輝かせるだけで
同じものでも、「気」が入らなくなると
途端に色褪せてしまうように、同じものでも変化する。
生かすことも、色褪せさせることもできる。
でも本当は、個人が必要とする
大きさも多さも大した量じゃない。
必要以上を手にしている人は持て余す日がくる。
所有するということは
いつかは手放さないといけないことも含めている。
モノだけではなく肉体も同じことで
生きている間は快適に必要な物として使わせてもらおう。
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