「
鍵部屋」6回目から。
わずか1分間の・・・何気ないCAFEでの会話シーン・・・ここがどこなのか全く見当も付きませんでした。
それが「
CANAL CAFE(カナルカフェ)」と教えて戴いてビックリしました。何回も見直しました。
・・・確かに最後の引きで「CANAL CAFE」のフラッグが見えます。いい感じに古びてて・・・。
そして、何よりも戸田さんの後ろを総武線各駅停車千葉行き(黄色)・・・が走っています。
・・・ちゃんと、お店が分かる様に撮影されていたんですね~。
それでも、私は漫然と「いいとこだな~」と思って見ていただけでしたから、気が付かれた皆さんの目を尊敬致します。
私の記憶では、神田川(外堀)がこんなに綺麗ではなかったし、広くも感じていなくて、釣り堀りみたいでした。
・・・実際、「浄化活動が進み、2009年6月にはこのお堀で蛍が生まれました。」・・・とHPにありますから、
「神田川に清流を戻す会」の方々の努力が実ったという事なのですね。本当に頭が下がる思いが致します。
http://www.canalcafe.jp/
私が初めて「カナルカフェ」に行ったのは、多分22年前だと思います。
このブログタイトルにもあります「ビルディング・ウーマン」は飯田橋で誕生しました。
駅横のセントラル・プラーザの1室をお借りしての「建築現場の女性ネットワーク」の立ち上げでした。
私は42才。篝はまだ16才位の高校生でしたが、工業高校の建築科に通っていたので、既に参加していましたね。
月1回の集まりがあって、会議の最後は、いつも神楽坂の「ジロー」か、この「カナルカフェ」でしめていました。
その後青山のウィメンズプラザ~三田の「女性の未来館(現女性就業支援センター)」と本拠地が変わっていきましたので、
自然と「カナルカフェ」とも縁が薄くなっておりました。
「カナルカフェ」は、当時から有名でした。ロケに使われたり、雑誌に載ったり、・・・「拝啓、父上様」もかな?
とにかく寒かった印象しかなく、おそらく悪臭が酷くて夏場はカフェを閉鎖していたような気がします。
そして当時から古びた感じがしていました。一体いつごろ出来たのでしょうか?
「東京水上倶楽部」は、1918年創業、創立者
古川清氏が私財を投じてボート場を作ったとあります。
当時の東京市長が「復興せよ!」の、あの
後藤新平とありますから、歴史は100年近いと言う事ですね。
もう一つの謎・・・
劇場がどこなのか教えて戴きましたので「あらし」の体調が回復したら行ってきます。
Kちゃん、Aちゃん・・・私の無茶振りにも関わらずご丁寧なメールをありがとうございました。
又お願いする事があると思いますが、懲りずに宜しくお願い致します。・・・ね。