「MISHIMA」
監督 ポール・シュレイダー
脚本 ポール・シュレイダー
レナード・シュレイダー
地恵子・シュレイダー
製作総指揮 フランシス・コッポラ
ジョージ・ルーカス
製作 山本又一朗
トム・ラディ
美術 石岡瑛子
出演 緒形拳
沢田研二
佐藤浩一
永島敏行
坂東八十助 他
映画ファン、ジュリーファンなら「凄い!」と思って当然のキャスト、スタッフである。
この映画の5年前に「太陽を盗んだ男」が製作されたが、その時の脚本が
レナード・シュレイダーと長谷川和彦 製作は山本又一朗だ。
レナードとポールは兄弟である。レナードがお兄さんだ。
地恵子・シュレイダーはレナードの奥さん。
そしていわずと知れた石岡瑛子は「水の皮膚」を作ったアートディレクターだ。
そして最初にこの映画は、カンヌ国際映画祭で、最優秀芸術貢献賞を受賞している名作だということをお知らせしておこうと思う。
何故この映画が日本で公開されなかったのか、という点では「日本人の芸術理解度が低かった」というしかないと思う。
そして三島家の方々の意向ということでもあったようだ。
ポール・シュレイダー監督は日本映画研究家でもあるそうだ。
日米合作だが、ほとんどのロケは日本で行われた。
合作なのに、日本の俳優が日本語でしゃべる。サムライが英語をしゃべっている映画ではない。
なので、脚本には相当の時間と苦労が重ねられている。
地恵子・シュレイダーはこう語る。
「この脚本は、非常に複雑な経過をたどっている。英語の脚本は、もともと日本語だった三島の文学作品や資料の翻訳されたものを読み、それをさらにかみくだいたものだ。で、それを日本語にするには、もう一度、日本語の三島作品に戻らなければならなかった。たとえば、英語の脚本にセリフがある場合、三島の小説には出てこないセリフというのもある。小説では何ページにも渡って書かれていることが、数行のセリフになっているとか・・・。そういう場合にはまず三島の語彙を使いたいんだけど、同時に映画のセリフでなければならないわけね。三島は、文書もユニークだけど、しゃべり方も文学的でユニーク。だから日本語版はとても苦労した。」
そして特筆すべきは、撮影の仕方。
回想シーンは、すべてカメラを固定して撮影された。
「当日」のシーンは手持ちカメラでドキュメント風に。
そして小説の部分ではフィッシャー・ドーリー(移動車)がふんだんに使われている。
映画を構成する三つのパートがそれぞれ技術的にも別の方法で撮られているのだ。
三つのパートとは「三島の最後の日」「三島の生涯」「三島の3つの小説」だ。
美術も素晴らしかった。前衛的で日本的な色使いや二次元のセット。
これはじっくり観てもらうしかない、という映画だ。
その名作の主演、緒形拳と二分する存在感で圧倒するのがジュリーである。
センセーショナルな役どころだったので、公開されてない、噂のみの段階ではファンはショックを受け、「見たくない」と思った人が大半だったかもしれない。
ジュリーが主演した部分の小説は「鏡子の家」
鏡子をとりまく友人数人と鏡子を描いた小説だ。その友達の一人が収(おさむ)。
ジュリーは収を演じ、鏡子の家の収の部分だけをピックアップしてある。
小説を読んでびっくりしたのが、収の描写が「沢田研二」そのものだったことだ。
興味がある人は「鏡子の家」を読んでいただくことをお勧め。
三島由紀夫は美しい男を愛していた。自分もそうなりたいと望んでいた。
その自分の理想形とも思われる男性が収だ。自身の考える美の部分での理想を描こうとしたのかもしれない。
又、映画の内容については詳しく書きたいと思っているが、まずはエントリーから。
(参考)1984年キネマ旬報9月上旬号
監督 ポール・シュレイダー
脚本 ポール・シュレイダー
レナード・シュレイダー
地恵子・シュレイダー
製作総指揮 フランシス・コッポラ
ジョージ・ルーカス
製作 山本又一朗
トム・ラディ
美術 石岡瑛子
出演 緒形拳
沢田研二
佐藤浩一
永島敏行
坂東八十助 他
映画ファン、ジュリーファンなら「凄い!」と思って当然のキャスト、スタッフである。
この映画の5年前に「太陽を盗んだ男」が製作されたが、その時の脚本が
レナード・シュレイダーと長谷川和彦 製作は山本又一朗だ。
レナードとポールは兄弟である。レナードがお兄さんだ。
地恵子・シュレイダーはレナードの奥さん。
そしていわずと知れた石岡瑛子は「水の皮膚」を作ったアートディレクターだ。
そして最初にこの映画は、カンヌ国際映画祭で、最優秀芸術貢献賞を受賞している名作だということをお知らせしておこうと思う。
何故この映画が日本で公開されなかったのか、という点では「日本人の芸術理解度が低かった」というしかないと思う。
そして三島家の方々の意向ということでもあったようだ。
ポール・シュレイダー監督は日本映画研究家でもあるそうだ。
日米合作だが、ほとんどのロケは日本で行われた。
合作なのに、日本の俳優が日本語でしゃべる。サムライが英語をしゃべっている映画ではない。
なので、脚本には相当の時間と苦労が重ねられている。
地恵子・シュレイダーはこう語る。
「この脚本は、非常に複雑な経過をたどっている。英語の脚本は、もともと日本語だった三島の文学作品や資料の翻訳されたものを読み、それをさらにかみくだいたものだ。で、それを日本語にするには、もう一度、日本語の三島作品に戻らなければならなかった。たとえば、英語の脚本にセリフがある場合、三島の小説には出てこないセリフというのもある。小説では何ページにも渡って書かれていることが、数行のセリフになっているとか・・・。そういう場合にはまず三島の語彙を使いたいんだけど、同時に映画のセリフでなければならないわけね。三島は、文書もユニークだけど、しゃべり方も文学的でユニーク。だから日本語版はとても苦労した。」
そして特筆すべきは、撮影の仕方。
回想シーンは、すべてカメラを固定して撮影された。
「当日」のシーンは手持ちカメラでドキュメント風に。
そして小説の部分ではフィッシャー・ドーリー(移動車)がふんだんに使われている。
映画を構成する三つのパートがそれぞれ技術的にも別の方法で撮られているのだ。
三つのパートとは「三島の最後の日」「三島の生涯」「三島の3つの小説」だ。
美術も素晴らしかった。前衛的で日本的な色使いや二次元のセット。
これはじっくり観てもらうしかない、という映画だ。
その名作の主演、緒形拳と二分する存在感で圧倒するのがジュリーである。
センセーショナルな役どころだったので、公開されてない、噂のみの段階ではファンはショックを受け、「見たくない」と思った人が大半だったかもしれない。
ジュリーが主演した部分の小説は「鏡子の家」
鏡子をとりまく友人数人と鏡子を描いた小説だ。その友達の一人が収(おさむ)。
ジュリーは収を演じ、鏡子の家の収の部分だけをピックアップしてある。
小説を読んでびっくりしたのが、収の描写が「沢田研二」そのものだったことだ。
興味がある人は「鏡子の家」を読んでいただくことをお勧め。
三島由紀夫は美しい男を愛していた。自分もそうなりたいと望んでいた。
その自分の理想形とも思われる男性が収だ。自身の考える美の部分での理想を描こうとしたのかもしれない。
又、映画の内容については詳しく書きたいと思っているが、まずはエントリーから。
(参考)1984年キネマ旬報9月上旬号