吉松隆 タルカス クラシックmeetsロックCD
プラケース裏側と帯
吉松隆さんのCDは、
先に大河ドラマの平清盛のサントラのvol.2を取り上げたのですが、
タルカスをオーケストラでライヴ演奏をしたのが、
このタイトルのCDでした。
「始めにライヴありき」
だったわけですね。
この時のライヴ、
チケットを購入したけど、
家族の入院で上京を見合わせた話はしましたが、
ジャケットブックレットの吉松隆さんのコメントを見ると、
先の見えない中での大胆な挑戦であった事が解ります。
私などは、
「オーケストラでタルカスを聴けるなんて、スゴイ事になったものだ!」
などと、
EL&Pファンとして、単純に喜んでいたわけです。
キース・エマーソンは、
過去のクラシックの作品をそのまま演奏する事だけが全てではないだろうと、
ザ・ナイス時代に、クラシックの作品をロックにアレンジするという試みをしたわけですが、
ロックというフィールドは、様々な自由な試みを許容するものであったのだと思います。
一方、吉松隆さんの、ロック音楽をオーケストラでのライヴ演奏にするという挑戦は、
プログレッシヴ・ロックのファンが喜んでも、
クラシックファンがどのように受けとめるかと想定した場合、
ほとんど無視されるような状態の中でのスタートだったようです。
その世界の中で、
この企画を立案し、遂行し、成功に導く事ができた気苦労と重圧は、
ご本人にしか解らない事であります。
その後、テレビ番組、「題名のない音楽会」でも、
オーケストラによるタルカス演奏が行われましたが、
全てはこの東京オペラシティのライヴから始まった事は確かです。
ジャケットに用いられているタルカスは、
CGではなく、ジャケット撮影のために制作されたフィギュアのようです。
吉松さんのブログによると、
東日本大震災で、一部、破損してしまったようですね。
以上。
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プラケース裏側と帯
吉松隆さんのCDは、
先に大河ドラマの平清盛のサントラのvol.2を取り上げたのですが、
タルカスをオーケストラでライヴ演奏をしたのが、
このタイトルのCDでした。
「始めにライヴありき」
だったわけですね。
この時のライヴ、
チケットを購入したけど、
家族の入院で上京を見合わせた話はしましたが、
ジャケットブックレットの吉松隆さんのコメントを見ると、
先の見えない中での大胆な挑戦であった事が解ります。
私などは、
「オーケストラでタルカスを聴けるなんて、スゴイ事になったものだ!」
などと、
EL&Pファンとして、単純に喜んでいたわけです。
キース・エマーソンは、
過去のクラシックの作品をそのまま演奏する事だけが全てではないだろうと、
ザ・ナイス時代に、クラシックの作品をロックにアレンジするという試みをしたわけですが、
ロックというフィールドは、様々な自由な試みを許容するものであったのだと思います。
一方、吉松隆さんの、ロック音楽をオーケストラでのライヴ演奏にするという挑戦は、
プログレッシヴ・ロックのファンが喜んでも、
クラシックファンがどのように受けとめるかと想定した場合、
ほとんど無視されるような状態の中でのスタートだったようです。
その世界の中で、
この企画を立案し、遂行し、成功に導く事ができた気苦労と重圧は、
ご本人にしか解らない事であります。
その後、テレビ番組、「題名のない音楽会」でも、
オーケストラによるタルカス演奏が行われましたが、
全てはこの東京オペラシティのライヴから始まった事は確かです。
ジャケットに用いられているタルカスは、
CGではなく、ジャケット撮影のために制作されたフィギュアのようです。
吉松さんのブログによると、
東日本大震災で、一部、破損してしまったようですね。
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最後の単独コンサートとなった2015年7月のバービカン。BBCコンサートオーケストラとの競演でしたが、バイオリンの女性2人が途中で離席したり、正にキースを馬鹿にした行動を取って、吉松氏の発言を証明しています。キースは音楽バカで演奏できれば幸せって部分と自分に厳しく他者への懐疑心も強いので、妙に敵を作る傾向があったと思いますが、あの様なプロとは思えない行動を取るオケを見てキースはとても失望したはずです。
バービカン終了後、楽屋でタルカスの楽譜を大切そうに胸に抱きしめていたキースの姿が今でも目に焼き付いています。昼休みに会社を抜け出してシャンペンを買ってキースの楽屋に届けました。キースを含む、EL&Pは私のヒーローです。尊敬と愛と感謝しかありません。合掌。
河出ムック、英国まで届いたのですね。
なかなか読む暇はないのですが、私も吉松隆さんと岩本さんの対談は読みました。
クラシックの世界は、その道をずっと歩んできた人が、それぞれに自己の内部に形成された不文律みたいなものがあるのでしょうね。
それに適合しない場合は、お金をもらっていても、演奏途中で離脱するような事もあるわけですな。
キースも指揮者としては、プロとは言えないわけですから、
そんなところも許せなかったのでしょうね。
相性が悪いオケのメンバーの前で指揮をとるよりも、言葉の違いを乗り越えて、日本のオーケストラの指揮をするような企画が出てくれば、
まだ、心地良い道が開かれた可能性はあったかも知れません。
もうすぐ日本はお盆。
故人を偲ぶ時節になります。