週五日記

ボチボチがんばります

日本人は思想したか

2011-03-07 08:47:25 | Weblog
今日の2時40分に目が覚めて

寝れそうになかったので。


神道と仏教について。

毛坊主のことなど。

神仏習合など。

ちょっと知っておきたいが、『ちょっと』の

関心では、なかなか勉強するのも大変そうだ。


『近代の超克』論争の流れで、西田哲学や、

京都学派のことなど。西田哲学は、日本における哲学の

はじめての体系なのだろうか?


西洋哲学は、デカルトをはじめとして、『我思うゆえに』の『我』が『有』る

としてスタートしているが、西田幾太郎さんは、主観と客観が混ぜこぜの

『無』から思考しようとしたところが、日本はじめての体系となりえたところ

なのだろう。


『無』からの思考は、人間と自然が混ぜこぜの思考ともいえるのではないか?


いきなり飛ぶが、吉本さんがいわれていることで『ホーっ』と思うのは、

お茶とか、歌とか、踊りの中に、思想が入り込んでいることこそ、

日本人の思想の特徴ではないか?というのが、『ほーー』と思う。



最後のあとがきで、確かお三人ともに、地下鉄の事件について触れており、


その事件のインパクトの大きさを指摘されている。



その事件の問題の本質は、日本の思想に広く普及した体系的がなく儚さがあり、

そのような儚さの間違った解釈と、

近代的な科学的思考が一体となった

故の問題だったのではないか?
コメント
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