コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

湘南へ 大仏さんと啄木と その3

2012-03-22 | Weblog


           長谷寺より材木座方向を眺望
 
  
   久方の
   空青くして雲白く湘南の海    
   春近きかな
  



   長谷寺に上りて
   仰ぐみ仏は
   黄金も眩し観音菩薩



閑話休題  <鎌倉日記はまた別の機会にして。>

今回の旅は、湘南啄木文庫の佐藤先生の歌会に出ることが主目的であった。
と言うよりも、佐藤先生に会いたかったからかも知れない。


この日は、「グランドホテル神奈中秦野」に投宿。
駅界隈の居酒屋で、ひとり少しばかりのお酒を。

フロントへ明朝8:10にタクシー予約。
佐藤先生から、「歌会の前に家へいらっしゃい」とのお言葉を頂いていたので。


        啄木関連の蔵書だけで3000冊!湘南啄木文庫にて。


詠題は「青」だった。出席を決めたのは詠草の締め切り直前だったこともあり、前に詠んだものを送信させて頂いた。

   青き海 見え隠れして
   石見路の 無人の駅に
   百日紅咲く

である。
短歌の作法、と言うよりもセンテンス的にも、おかしいのだが、好きな自作である。
啄木流に「我を愛する歌」ってところかな。

歌会では一番多く入れて頂いた。佐藤先生の選評でのご指摘も、私自身が気がついていたことと同様であった。
この表現だからこその味わいがあって、必ずしも作法に則ることはないとのことだった。

蛇足ながら、
これは先年、島根県浜田市に講演に訪れた時に、山陰線の電車の中で詠んだものである。まずは、
「見え隠れ」
電車が動いているということである。つまり私は車中の人。電車は海辺を走ってはいるが、ずっと海が見え続けている訳ではない。
木立や家があると車窓から海は隠れる。

次いで、
「無人の駅」
無人でも有人でも「駅」は駅である。見え隠れもしていない。
つまり静止そのものである。だから「見え隠れ」との整合性の問題である。

そして、
「石見路」
鉄道だから「路」はおかしいと言えばおかしい。
しかしこれも、山陰は石見地方を旅しているのだな、という意味でOKだった。
「山陰の無人の駅に」でもいいかなとも思ったのだが、山陰線はかなり長いので、敢えて石見に。

また、駅に百日紅は咲かない。駅の敷地に咲いているのだ。
海が見え隠れしながら電車は走っている。
ある無人駅に停車した。窓越しに見ると、紅の花が咲いているよ。
と、誰だってそのように理解してくれると思う。 
いささか、自己弁護になった感じ。

佐藤先生から更に、私の歌が源実朝の、

  箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ(金塊和歌集)

の雰囲気だと紹介された。何となくそうかもね。





      佐藤先生から啄木の歌についての講義

それでは、つづきは、どうするかな。もう、いいっか・・・。

                  
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