いろんな人生が、あっていい。そうなんだけれど、なんかなあ、と思ってしまう人たちもいる。
ご自身がとても苦しい。そして周りに対して誤解したり当たったりするから周りの人たちがとても迷惑している人たちがいる。そういうのは今の精神医学では何らかの病名が付く。薬がメインかもしれないが治療もある。診断をきっかけに考えられる対応もある。
しかしそれら医療を拒否し、私は精神疾患ではないから病院には絶対行かない。と言い張る一群がいる。いわく、精神病の半分は精神科医と製薬会社が自作したものだ。パーソナリティ障害とか発達障害とか、病気ではない。などと。
彼らが言うように、パーソナリティ障害や発達障害を生物科学的方法で診断されていないことは事実だ。うつ病でさえそうだ。それをもって統合失調症など傍から見てわかる人を除き精神科の診断を否定する論調をいくつか見聞した。世の中が悪いとかなんとか。精神科なんか行く必要はないとか。なんとか。
診断基準が1990年代から変化していったのは、米国精神医学会診断基準(DSM)の変遷を見れば明らかだ。製薬会社や精神医学会が巨額の資金と影響力をみって勢力増長を図っていることも事実だ。だからといつて、うつ病や発達障害(DSM診断喜寿からその名は消えたが日本では法律上これからも言われ続けるだろう) は医学会の陰謀だ。存在しないものだ。などというのは、現代社会を全く考慮しない意見だと思う。
診断基準の変遷は政治的なものだと学んでいるが、それにしても、政治社会的変遷の影響を私たちは強く受ける。社会や集団から受ける力によって精神が異常をきたす現象については多くの同意がある。
社会が悪くて病的な反応が出るのは通常であるとかなんとか。そういってなんと精神科の診断そのものを否定する意見にもいくつか出会った。それら意見の人たちは、企業社会から距離を取り就職せず、個人企業をモットーとし、必要とあれば生活保護を受けることを推奨していた。そして精神科の診断、治療、精神科診断の必要な障害年金や福祉にはつながらないことを強く推奨していた。
彼らは精神的に苦しければ薬を飲むのではなく、わめけばいい。器物損壊すればいいと言う。それが正常な反応なのだから。だそうだ。精神科はすべて害悪でしかないそうだ。すごい意見だと思う。言論の自由はある。受けたくない治療を強制するのは困難だろう。でも、周りの苦労や社会情勢を無視して苦痛と貧困を推奨するのだ。私は反精神医学の人たちからは積極的に離れるという一択しかない。
私は自分の精神疾患が表面化し、周りの人たちが離れていくのを感じてきた。離れていくのは仕方がないと思っている。発達障害の概念を勉強し理解し、現代の診断にあてはめ自分が障碍者ということなら障害者だと認識した。社会的に失われた所得の幾分かを(完全にではないが)障害年金をもって補填し、利用できる制度はすべて活用し、補助や控除を最大限受け、自らが貧困に陥ることを防いできた。
また、よい活動や医療があると知れば北海道や鹿児島に出かけ、現地でその活動や治療を受け、対処を学んできた。様々なコーピング技術を試し身に着けてきたことは、このブログで一部を現した通りだ。そうやって自分のできる努力はすべて行い、自分の苦しみから逃れ少しでも普通にパフォーマンスができるよう工夫してきた。
発達障害の苦労はあるし、うつ病の苦労も私には現に存在する。神田橋先生を含む複数の医師が認め、治療に手を貸してくれている。その他さまざまな人たちの力や知恵を借りながら、いろいろな人たちの助力をいただきつつ、今を生きている。
その私の苦労が他人の目には見えないから苦労そのものが存在せず、医師とグルになっているにすぎない。とか、愚弄する意見にあった。
そういう連中とは二度と関わりあわない。それだけでいいと思う。社会活動ならただ離れるだけでいいけど、これが仕事上の関係だとまずいと思う。だから主治医は障害者雇用で行くことを推奨するのだろう。
障害非開示で就業し、長時間残業や長時間連続労働やパワハラ環境でもなんとかなるうちはそれでいいと思う。かつての私はそうだった。ただ今の私にその力はない。障害非開示でやつていける力がないからといって、受けられるはずの制度や支援、医療まで否定され、支援制度を最大限利用し何とか自分を立て直そうとする営みを愚弄されるのは心外だ。私の尊厳を冒涜し名誉を著しく毀損する言動をする人物や集団に対しては、全力で離れることが第一選択肢だ。
もちろん、各種制度は本人が求めるのであれば利用するもの。利用制度とその実際について私はこれからも述べていくが、だからといつてその利用は強制されるものではない。そもそも権利行使や擁護には膨大なエネルギーを要する。本人が嫌がっている状況では権利擁護のしようがないと私は思う。
私は医療などを研究し制度を最大限活用する。自分が医療を受けることを拒否し社会のせいにする一群があること。制度活用を拒否し貧困化する一群があること。について学ぶことができた。彼らの影響下にある人たちがそこから出て支援を求めるのなら、私はそれら人たちの権利擁護をするのかもしれない。それだけのことだと思う。
私は私の学習が不特定の人たちの利益になると思うので、このように公開している。私の経験を活用したい人が、活用していただければ。それでいいと思う。