伊是名夏子さんが提起した「電動車椅子乗車拒否事件」。
JR東日本の反応は、大筋においてまっとうに感じる。熱海駅の対応は見事だと感じた。JR広報によると、駅員への車いす対応の研修はすでに実施されていて、この件をきっかけに新たなる研修を行う予定はない。と公表するほど自信を持っている。駅長は自ら指揮し、伊是名さん一行を丁寧に案内した。伊是名さんはブログ記事で素人呼ばわりしていたが、彼らは運行のプロ。すべての人の鉄道移動を実現させる意欲は高いと感じた。
なお、労働安全衛生法によると、労働において労働者の安全を図る義務が生じるのは事業者。車椅子の当事者ではない。
なぜか鉄道マンの安全配慮注意義務を車椅子ユーザーに課すかのごとき投稿が散見するが、安全にできないと判断すれば合理的配慮を超えるわけだから、そのようなことは初めからしない。
熱海駅が状況を見て配慮可能と機敏に判断し実施したことを忘却し、ひたすら伊是名氏を叩く論調が続くことに、私は強い憤りを覚える。
JRから、問題の展開に際してこの時代の推移を見据えた合理的配慮の公表がなされた。合理的配慮、地方の高齢化過疎化と駅の維持、鉄道労働者介護労働者の労災対策、といったことに冷静な議論が始まることに期待したい。
伊是名さんのことを調べているうちに、私はだんだん、自らの就労について思うようになった。
発達障害は生得性の障害とされ、社会で頑張るうちには私は二次障害としてうつ病の診断を受けることになった。
現に、発達障害とされる人々が社会の中で仕事上でも成功をおさめた事例をよく見聞するし、精神障害の当事者が仕事上で成果を収めた事例もまた、私は見聞きしてきた。私自身も四半世紀にわたり社会の中で経済活動に従事し〈学生の頃はバイト、卒後は正社員などとして〉、ささやかながら家庭生活を経験し、財産を持つに至っている。
しかし、世の中の「常識」とされる知識。もっとも、すべての人の「常識」ではなく、ある一定の人たちの「常識」においては、「精神障害〈発達障害を含む〉の人が仕事をするなんて、ありえない」のである。
今でも「精神科に通院している人は仕事をするべきではない。一緒にいるだけでも嫌だ」という声を時々耳にする。一昨年の就労支援講演会で現役のハローワーク職員が「5年前は精神障害の人の就労なんて、あり得ない話だった」と明白に語り、8年ほど前に参加した当事者研究会では首都圏ハローワーク職員が涙を流しながら「皆さん〈精神障害当事者〉の仕事はありません。」と何度も語っていた。数字上は精神障害者のハローワーク経由での雇用がすでにあったのだが、肌感覚では最近ようやく、光が見えてきた。のかもしれない。
これは多分に、障害者雇用率が上がり、その達成が低いとメディアに叩かれ、あるいは公共入札に参加できない。など、大企業が障害者を雇わないと損害を被る社会状況になったことによるものと思われ、精神障害者の能力が短期間で著しく向上したわけではないのだ。
制度的構造的変化により、精神障害当事者が障害をオープンにして雇用される確率が増えたのだが、未だに「精神障害者が仕事をするなんて、あり得ない」というイメージを持つ人々は多いのだ。そういう人にとっては精神病者が仕事をするなんてわがまま。配慮なんてずるい。のだ。精神障害者が障害を開示して仕事についても、こうした声との軋轢は、多かれ少なかれ覚悟しなければならないのだ。障害者雇用で雇用された別種障害者との軋轢もあるのだ。〈障害者最大の壁は別種障害者、かもしれないことについては、後日書きたい〉
仕事をする精神障害者当事者一人一人が、未知の場所で自分の道を切り開いていくチャレンジャーなのだ。あり得ないとされることにトライする存在なのだ。私はそう思った。
※追記、私はJR東日本を全面的に支持します。
「乗車を拒否する意図はない」JR東が強調 電動車いす利用者への対応問題:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)
※追記、誹謗中傷下火と誤認した冒頭部分を削除。労働安全衛生法を追加。一部を訂正。