昨日今日と、若者サポート系の研修に参加し、冒頭の講演で支援者が「福祉の支援はくそだ」といったことに、心から共感した。
自分は通算12年以上、福祉のプロとして正社員のおまんまをいただき、福祉で「食って」暮らしている。
そう、自分は福祉で障碍者や病人の人生を「喰って」いる。という自覚は、社会福祉士の勉強を始めたころから明白に自覚している。あまりの腐臭にとことん嫌になった時期もあり、福祉以外の正社員の仕事を9年やったことがある。
トヨタ系列で働いていた時、パワハラで休職し復職を目指す過程で、自分が健常者ではないことは20代後半時点で気づいていたが、40過ぎになって、実は知的障害者入所施設で働いていた時に対峙した自閉症者たちと同じ診断がつくこととなり、福祉制度を利用する立場も経験した。
その40台で経験した、とりわけレベルが最高であるとされる国家機関就労支援による「くそ」支援については、以前明らかにした通りである。そしてその直後には病院で食えなくなった臨床心理士が親金で開業した就業支援施設をリワーク利用し「くそ」支援で苦労したことも以前書いたとおりである。
大学を出て最初の就職先で、私は自分の地位が就職説明会とは著しく異なり、夢を見せられて騙され「くそ」と思った。くそったれ経営からキリスト教のコネで転職した老舗施設がこれまた知的障碍者に修道院生活を強要するとんでもない「くそ」であった。そこを当時の石原都知事による福祉予算大削減のあおりで棄てられたのを機に転職した病院で経験したのも、患者「様」などとにぎにぎしく言いつつレセプトの金が全てで本人の困り感無視病院の利益のための囲い込みたらい回しの「くそ」相談支援だった。
40台で出会った福祉の仕事も、発達支援をすると表面では言いつつも遊んでいるだけの「くそ」支援であったりして、腐臭漂う散々なものだった。
今の所属先の支援も、私は決して満足していない。まだまだやれる。どんどん良くできる。改善の余地に満ちている。と思っている。
福祉の支援をしていくと自分の無力を悟り情けなくなるものだと、向谷地・北海道医療大教授も述べている(2009〉。まったくそうだ。いい支援、なんて自称している支援者ほど、詳しく調べていくと恐るべき死臭と腐臭に満ちていた。という経験を自分は幾度もしている。
医療福祉は契約先を選択し必要なサービスを主体的に利用するものであり、決して依存するべきものでない。医療福祉に絶対はない。サービスの選択の責任は結局自分にかかってくると、自分は信じている。
自分の人生は周りを利用しながら自分で切り開くものだと思っている。支配する誰かに囲われるのは嫌だ。また自分もだれかを支配的に囲ってはいけないと肝に銘じている。
福祉で「喰う」「くそ」支援者の一人として、せめて人を育てる土壌の肥やしにでもなってみたいものだと思い、これからも支援という堆肥の改良を試みつつ学んでいくものである。
※参考文献 向谷地生良 2009 技法以前 べてるの家のつくりかた 医学書院