私は障害当事者として、あるいはその家族として、日々、
賢明な消費者、ユーザーでありたい。
と、思っている。
とはいえこれは、なかなか至難なことだと、感じる。
私としては、よいサービスにあやかるために
- アンテナを張り、情報を収集し、
- よい相談相手を探し続け、
- あるいは、福祉サービスではない手段も用いて、
自分の福祉ニーズを賄うべく、これまで取り組んできた。
これを読まれている方の中には、
福祉などの専門職は、ひたすら私たち利用者のことしか考えないで、利用者利益のために精一杯のことをしてくれているから、全部任せていればいのよ。
と、仰せの方もおられると思う。
そのように、サービスを提供するプロ側が、サービスを利用する側のために全力と最善を尽くしてくれるのであれば、何の苦労もない。
ただし、私が見ている日本の現実は、楽園ではないと感じる。
これから先の話は、福祉はお花畑ではない、という話になる。
福祉職が皆善人だと信じる人は、これ以上読むことをやめていただきたい。きっと、あなたの気分を害するから。
前提として、日本社会は、あらゆる公共事業に収益と採算性が求める社会である。
鉄道はもちろん、水道、感染症医療のような、国の緊急事態のための備えにさえ、黒字を出すことを強く求め、徹底的なコスト削減やリストラを求める国である。
福祉においても今や市場化され、利潤追求を求められている状況である。
よい福祉サービスをしていれば業者も潤う。
というわかりやすい図式である。
そのわかりやすい図式は半分正しく、
半部万違いであると、私は感じる。
よいサービスであれば、確かにより多くのユーザーに選択され、その業者は潤う。
福祉が市場化され、役所が措置していた時代にはなかった、いろいろなサービスが提案されている。
その一方で、徹底的にコストは削減され、利用者の障害を理解する余裕や、現実としっかり向き合ったり、ゆっくり話を聞くゆとりがなくなってきた。とも感じている。
とりわけ人件費削減により、正規職員ではなく非正規職員が、有資格者から最賃法で働いてくれる人へ、シフトしていると感じる。
私が言いたいのは、教育され経験を積んだ人が福祉職では残れないと、感じていること。
もちろん中には、無給のボランティアでよい仕事をされる方もいらっしゃる。
しかしそのボランティアさんも、かすみを食べて生きていけるわけではないので、どこかで生活費を賄わなければならない。
人件費の削減と合理化のしわ寄せについての話は、いろいろなところで非常に多く論じられているので、ここでは割愛したい。(膨大な資料に全くたどり着かないのであれば、その人はアンテナを張っていない。都合の悪い話にアンテナを張る気がない。と私は理解する。)
福祉団体は「生き残りのため」、必死に利潤を追求しつつ、中には真面目に社会福祉学的な課題にも取り組もう、専門性を向上させよう、という人もいる(かつての私がそうだった!!)。
表向き、商売はクライアントのためにやること。それは福祉もほかの業界も同じ。
真の目的は、どの業界も、自分の団体が生き残る。要するに利益を得ること。
黒字にしないと、採算が合わないと、その公共事業は、たとえ大企業がやっていても、やがて廃止される。
だから福祉ビジネスに携わる人たちは今日も必死に営業し、福祉サービス提供を通して利潤を追求する活動に邁進している。
「公金チュウチュウ」という単語がはやっている。
福祉業者が公金にたかるように見えるのは、公が福祉現場を民間に丸投げし、市場原理に従うようにした結果であり、当然の現象であると私は思う。
福祉業者の提供するサービスと利用者の利益が合致するのなら、それはまさに良いサービス。最高のサービス。
しかし、業者の提供するサービスと利用者に必要なサービスが異なる場合、福祉サービス業者のほうの力関係が強ければ強いほど、大変な悲劇が待っている。
この悲劇に関する本にも私は数多く接してきたし、
残念なことに悲惨な話が世に満ちていると思う。
どうしたら、利用者にとって最善の「利益」をもたらし、「悲劇」を防ぐことができるか。ということが、私にとっては十年来の大命題である。
肝は、現場のリアルな情報、だと思う。
そのリアルな情報を得る手段を、私はこれまで開発してきた。
手始めに考えられるのは、当事者本人に聞く。ということ。
ただしこれには、多種多様な人々が「当事者」にはいるので、自分に近い当事者になかなかたどり着けず、自分にとって有益な情報には、なかなかたどり着けない。
「信頼できる相談員」というのがあれば、最高。
とはいえそれは「川辺で砂金を探すように難しい(某福祉研修会で講師から話されたことば)」こと。
多くの専門職と直接話をしてきて、私にとって、本当に腹を割って話せる人は、二十人に一人もいない。
ほとんどの専門職は「法人営業マン」「セールスレディー」の域から離れることはないように、私には感じる。
最近見た老人ホームのチラシでは、相談員のことを「営業」と書いていた。
なるほど、表向きの肩書である「生活相談員」などとは書かずに、実態である「営業」と書くわけである。チラシを読む人のほとんどが社会福祉士や介護福祉士ではないから、「生活相談員」などとは呼ばず「営業」と紹介するのは親切なのかもしれない。
福祉系相談員の実態は、福祉商品を売り込むセールスパーソン、セールスレディー、保険のおばちゃん、そのものだから。
中には「良心」で、積極的にかかわってくる専門職もいるが、これがまた曲者だと、私は感じている。
私と方向性が一致していればいいのだが、その専門職が、私が拒否している考え方を押し通す場合、その良心はただの拷問である。
そういう「押し付け」は、ただの迷惑でしかない。決して「利益」ではない。
私は福祉利用する際はしっかり声を出し、コミュニケーションを取れる、自分が利用できるサービスを提供できる事業者と契約するようにしている。
また、何が何でも福祉サービスでなければならないとは思わない。
家電やテイクアウトなどで、福祉サービスと代替できる機能もある。
私には家事援助のニーズがあるが、食洗機の利用や総菜などの活用で、とどこおりがちな家事を補っている。
段差がなければ掃除ロボットとか、ドラム式洗濯乾燥機とかも入れれば、より楽になると思う。(ドラム式洗濯乾燥機はかつて使っていたが、服にできてしまうしわと電気代のことで、今はやめている。さらに自分の生活技能が低下すれば、再導入するかもしれない。)
自分としては、よい選択をしていきたいものだが・・・・
なかなか大変だと思っている。