個人的に20年来着目し、10年ほど前には一週間訪問した、浦川べてるの家。
かの法人で「社長」とよばれ尊敬を受けてきた、べてるの家創設メンバーの一人、佐々木実さんが天に召されたのは昨年秋のこと。
きのう、浦川から情報誌「べてるもんど」が届き、佐々木実さんの特集が組まれていて、読みふけった。
「和解の使者」というタイトル記事を、向谷地生良・北海道医療大教授・言浦川べてるの家理事長が寄港されていた。
「べてるもんど」誌のさまざまな記事から、佐々木実さんの誠実な人柄がにじみ出ている。
いろいろな記事からは、浦川べてるが、やはりキリスト教精神の共同体であったことが、よく分かるようになっている。特に佐々木実さんは熱心な信者でもあったようで、上手くいかないことも多い中、信じ切っていたことが、佐々木さんの文章の引用から、書かれていました。
べてるの家創業時の苦労や、べてるの家の代名詞である向谷地氏・川村医師が左遷されていた80年台の苦労話と、干されていた専門家たちを支えていたのが佐々木さん、
などの、様々な困難がうかがえる記事を、読むことができました。
佐々木実さんのことをネットで調べると、いくつか面白い記事に出会ったので、ここで紹介したい。
すぐれた実践だと思い、一時は大いに期待したが、いや、浦川の地でも専門家たちが「患者との接見禁止」「左遷人事」などの命令が下り、普通であればそれで辞めて終わり。ということだったようです
。
それでも続いたのは、浦川の精神保健専門家たちが精神障害当事者の自主活動や自立活動を維持するために団結しただけではなく、
佐々木さんや早坂さんのような、浦川べてるの家を構成した精神障害当事者たちの力強い支持と地域に貢献したいという強い郷土愛、
諸般の事情から浦川べてるの家に場所と人材を提供し続ける事になった日本基督教団浦川教会による、陰に陽の加勢があり、
いまの状況があるのでしょう。
べてるの家の活動の中で、内には様々ないさかいがあったり、メンバー通院し職員が勤務していた浦川赤十字美容院から冷や飯を食わされていたりで苛立っているとき、皆の話を聞き、自ら動き、状況を救ったのは佐々木実さんだった。とのことで「和解の使者」という表題が自然につけらたのでしょう。
佐々木さんのリーダーシップについては、須磨こころの医院さんが「サーバントリーダーシップ」いう言葉で表現しておられて、とても印象深い。私も浦川べてるの家を見学した際、挨拶以上のやり取りを佐々木社長とはしなかったものの、見聞して感じた印象は同じでした。
〈以下、引用〉
“表舞台によく出てくるメンバーが多い中、佐々木さんはあまり表に出ず、慎ましい印象にありました。一方で佐々木さんは長年「社長」として「べてる」のリーダーを務めてきました。佐々木さんのリーダー像について、向谷地宣明さん3)は「サーバントリーダーシップ」という言葉を用いています。「サーバント」とは「奉仕する人」の意。管理(コントロール)型のリーダーシップとは異なり、「サーバントリーダーシップ」では、リーダーでありながら率先して人に奉仕して、互いに奉仕しあうことを奨励する構えをとります。佐々木さんはいつも穏やかなまなざしで静かな声で語り、人をコントロールすることは全くなく、一貫して見えないところで静的な支援に徹していたそうです。”1)
なかなか世の中ではみられないリーダーシップ。
それでも真実であり、大事なことだとも思い、記事にしました。
それでも真実であり、大事なことだとも思い、記事にしました。
最後に、「べてるもんど」誌より、佐々木実さんの声をそのまま引用します。
“失敗した人に、よくやったねとか、いい苦労しているねとか言う方が、新しい方向に向かうという手応えはあつた。だから笑うことを大事にしてきたと思ってる。もう笑うしかない人たちばっかりだったもんね。当時ね。”2)
失敗した人を見ると、当の本人たちの苦労を顧みず非難ばかりしがち、支配的に関わってしまいがちな世の中。
それが普通なのだが、その中にあって、この価値観は大切なことだと思います
。
※引用文献
1)那須こころの医院 2021 192.「べてる」の佐々木さんのこと
2)浦川べてるの家 2021 佐々木さんを囲む座談会inうらかわ べてるもんどvol.20 MCメディアン p25