今日、人間のどうにもならない信念を、学んだ。
まずは、今日も無残に殺害されている人たちに、哀悼の意を書き述べたい。
追悼の音楽を聴きながら
マウリポリの町で露助に、その暴虐を記録し続けたが故か、殺害された、リトアニア人の映画監督。
動画の アコーディオン先生の音楽仲間など、祖国防衛に立ち上がり、若い命を落とされた人たち。
動画の アコーディオン先生の音楽仲間など、祖国防衛に立ち上がり、若い命を落とされた人たち。
幾万もの市民・兵士たちに。
心より、哀悼の意をささげる。
そして、露助の友たちは、
歴史的大虐殺がウクライナ国土で相次いで露見したにもかかわらず、未だに
露助は 軍事施設しか攻撃していない。
戦争さえ起きていない。
キーウは攻撃されず、平穏かつ正常な生活が続いている。と主張している。
認知的不協和が嫌なのか、それとも自らを暗示にかけているからか、知らないが、
こんな人でなしには何を言っても無駄。
離れて無視するか、近寄るなら撃退するしかない。
これは、私たちの世界にもある。
何かを強い信念をもって主張される相手に、反証できる事実があったとしても、その強烈な信念は簡単には覆らない。
何かを強い信念をもって主張される相手に、反証できる事実があったとしても、その強烈な信念は簡単には覆らない。
このブログタイトルを起草させた児童精神科医は、
発達障害、特に自閉スペクトラム症の治療目標は、家事をする引きこもり
という信念を固く維持している。
そんな信念を持つ医師に、どんなに社会的成功を収めた事例を提示しても、彼らの頑強な信念は決して崩れない。
説得する気持ちはない。自閉症当事者でNPO理事長である支援界の大家・高坂氏と仕事をしてもその信念に変化はない様子。
高坂さんに成し遂げられなかったことを、この私にできようもない。
高坂さんに成し遂げられなかったことを、この私にできようもない。
例のひげの医者については、とある障害年金申請専門の社会保険労務士から、
例のひげの医者、勤務先病院は、
本来、障害年金1級もらえる最重度自閉の人にさえ適切な診断書が書けず、年金の等級を落とすことがある。
と聞き及んでいる。
「家事をする引きこもり」が治療目標である一部の無気力医師たちは、家庭内暴力をふるわせないために強烈な精神薬を大量に投与し、就労できない状態を固定しておきながら、強度行動障害がある当事者に対しても、
なんと、年金取れる診断書が書けないことがある。
ひどいものだ。
とはいえ、私たちは、
友人は選べる。
主治医も選べる。
自分を上げてくれる、助けてくれる人と、私は繋がろう。