星・宙・標石・之波太(しばた)

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こうのとり3号機打ち上げパブリックビューイング

2012-07-21 23:26:34 | 宇宙
7月21日午前11時06分18秒(JST),種子島宇宙センターから
宇宙ステーション補給機「こうのとり」3号機(HTV3)を搭載した
H-2Bロケット3号機が打ち上げられました。
角田宇宙センターにて、パブリックビューイングがあり、約50人が
応援に来ていました。
10時開場でしたが、打ち上げ予定の30分前の10時40分頃、会場に
到着しました。
管理人の到着後は、角田宇宙センターから何のコメントもありませんでした。
多分、到着前に所長の挨拶があったものと思われます?
打ち上げ直前に、もう一度挨拶があってもよかったと思いました。
このロケットの第2段エンジン(LE-5B-2)は、約1年前、角田宇宙センター
高空燃焼試験設備(HATS)で領収試験が行われました。
また、スペースデブリの発生抑制のため、第2段をより安全に処置することを
目的とした、第2段機体の制御落下を実施する予定でしたが、この案内も
説明して欲しいと思った管理人でした。
JAXAの他事業所と違いロケットエンジンの研究開発を行っている角田宇宙センター
ならではの案内が欲しいと思ったところでした。


柴田町船岡から丸森町に向かう南光大通りにあった看板

角田宇宙センター内、ライブ中継会場入り口の看板

会場内、観客は後ろに多くいました

11時06分18秒、打上げ







打ち上げ時の天候は雨、西北西2.3m/sの風、気温27.1℃

打ち上げ後、2分4秒:SRB-A分離

打ち上げ後、3分40秒:フェアリング分離

打ち上げ後、14分53秒:こうのとり3号機を分離

こうのとり3号機の分離成功を祝うHTVチーム

こうのとり3号機のロゴマーク

三角点・竜円寺・亘理町

2012-07-21 17:21:32 | 標石
今回の四等三角点は、亘理郡亘理町にあります。

点名:竜円寺(りゅうえんじ)
種別:三等三角点
基準点コード:TR35740062601(旧TR35740062701)
緯度: 38度01分12.2485秒
経度:140度50分13.9697秒
標高:204.13m
所在地:亘理郡亘理町字龍円寺前150
備考:明治31年9月に標石が設置されている。
    2011年8月9日、改測されている。
撮影:2010年1月29日

2009年5月時点、国土地理院の基準点成果等閲覧サービスによると、
行政区分が角田市となっていました。
また、点の記も添付されていませんでした。
地図を見て、角田市の金彫沢の採石場から登りました。
今年1月ブログ開設と同時に三角点の探訪を掲載させていただきました。
柴田町、大河原町を終え、3月に角田市を掲載するに当たり、再度、
基準点成果等閲覧サービスを閲覧したところ、亘理町に変更となっていました。
また、平成23年9月26日調整の点の記が掲載されていました。
これによると亘理町から登るコースの紹介がありました。


金彫沢採石場の許可を得て、登りました。
三角点は、正面の黄矢印の山にありました。


採石場の上部まで車で行けます。
赤矢印のところから登り始め、採石場と林の間を登り、
頂上に着いたら、黄矢印方向に歩きます。


頂上から見た採石場
昭和59年9月から岩石採取が開始されています。
岩石の種類は「安山岩」
かなりの岩石が採取され、山の形が大きく変わっています。


三角点付近、木に山銘板が掲げられています。
表:閑居山 204.4m
裏:2009.2.11 四方山から割山峠縦走 仙台,M.S
●山名について、管理人のコメントを最後に書きます。


【三等三角点(龍円寺)】


三角点付近から見たところ、遠くに阿武隈川のゆったりとした流れが見えます




亘理町葬祭場の前に、NHKの連続ドラマ「樅の木は残った」で一躍有名になった
伊達騒動の中心人物「原田甲斐」の実母「慶月院」の墓の案内看板がありました。


原田甲斐の居城は管理人の住む、柴田町船岡にありました。
現在、船岡城址公園として、桜の名所として全国的に有名です。


龍淵寺(りゅうえんじ)跡の看板
この寺の名前が、地名(龍円寺前)として残っています。
三角点(竜円寺)は、この地名(龍円寺)から来ています。


慶月院の墓


慶月院の墓の看板

●三角点のところにあった山銘板「閑居山」について

管理人は、古地図が好きで宮城県南部の絵図、地図等を調べています。
明治17年5月編纂された「宮城縣磐城國亘理郡誌」によれば、
この山は、当時は亘理郡小堤村に属し、
この村に5山の記載があります。

松栗(じゅんくり)山
高サ40丈、周囲1里
嶺上ニテ三分シ
東南ハ本郡長瀞村ニ属シ
西ハ伊具郡坂津田村ニ属シ
北ハ本村ニ属ス
山脈、南、長瀞村館ヶ森山ニ連ナル
樹木欝蒼、登路一條
本村ヨリ長瀞村字坂下ヲ経テ上ル
高サ15町、易ニシテ遠シ

となっています。
周囲の坂津田村、長瀞村でも、別名の記述がないので、松栗山と呼ばれていたと思われます。
(他村の例、**村にて、++山と云う)
閑居山の命名について、亘理町側のふもとに閑居集落があることから付けられたものか?
現地の人に聞き取り調査を行っていません。
明治時代に使われていた山の名前が消えるのは寂しいと思う管理人でした。

注)松栗山
 高さ:40丈=約121m
 周囲: 1里=約4km
 参考:1丈=10尺=約3.03m
    1里=約3.93km