「友」も「古い」も日本語なのでこの(首題)言い回しは当然ある。しかし意味が伝わらない。無理矢理に解釈すれば「古く=昔=からの友」かも知れない。でもその言い方を日常で使うかとなると滅多にないだろう。この語があらわれるシーンを想像するとたとえば夫婦の会話。嫁が夫に「山田さんから電話あったけれど、最近に友人になった方なの?」夫答えて「いや昔からの古い友達だよ」
このやりとりでは「古い」がしっくり理解できる。「昔から」の時間的長さが規定されているので、今も親しく付き合っているとのは語感はない。古いの本来の意=古ぼけた=にも結びつく。親しさを表すには「親友」がある。
この「親友」はしかし使いにくくて、その意味は間接的です。どういう事かというと面と向かって=キミは私の親友だ=とはフツーは言わない。では日常でどんな使われ方するかをかんがえると、先ほどの夫婦の話「山田さんて気味が悪いわ、あなたが何時に帰るのかをしつこく聞くのよ」「言い方が乱暴だからな、しかしヤツは親友だから適当に」こんな状況です。山田さんがそこにいないから「親友」と語るので、山田氏に「ボクのシンユーよ元気かね」とは言わない。この語が借り物(漢語)なので日常会話では異質な意味と音の響きを感じるためと思う。
「古くから」と「親しい」を合わせ持つ言葉は日本語には存在しない。「竹馬の友」は子供の時期からの知り合いで、きっと親友だろうが意味としてはあくまで「タケウマ遊び」からの友、これも時間的な尺度を表すだけです。いわくある政商氏を「フンケイの友」と呼んだ宰相がいたが、フンケイ=首切り刑=されても付き合いを守るとの意味らしいが、この語はフツーは使わないし、そもそも日本語になっていない。
突然フランス語になって恐縮だが「古い」と「親しい」を合わせ持つ言い回しがある。古いはヴィユー(女性形ヴィエイユ)でこれが友=アミ=を形容すれば、古い友となる、しかし意味合いは「気心しれた」が勝る。そして日常会話でも詩でも頻繁に出てくる。フランス人がこれをどう使うのかを知りたい方は、ブラッサンス(Georges Brassens=フランスの詩人、歌手1981年に60歳で物故)が唄うヴィユーレオン(le vieux Leon)を聞いてください。(YouTubeで拾ってください)
歌詞は:15年間病気だった「私の古い」レオン、今天国にアコーデオンを携え旅立った。天国でバストラングとジャバ(=いずれも古いダンス音楽らしい)はジェオバの元でも奏でられるのを知るだろう…(出だし部分、全訳は私の仏語力では無理)
アコーデオン奏者のレオンが実在したかどうかは調べられなかったが、Brassensの音楽仲間で幾分古風なアコーデオン奏者と臭わせている。天国ジェオバのもとにとあるから、ユダヤ教徒であるかもしれぬ。仲間ではあるがスタイルの差などで共にステージに立つ機会はそのうちになくなった(前はあったらしい)、15年も病んでいた。レオンは「古い友」だった。
ブラッサンスはこの自作曲を悲しみに流されず朗々と歌う。その状景は埋葬に霧が流れ、その霧につつまれるレオンが天国に立つかに見えた。古い友との惜別、共に仕事した思い出、死後の無事なる昇天、そして病身の友を疎遠に扱った悔悟、これらが歌を聞く者に伝わる。この歌が悲しく響くとしたらレオンが「古い友」だからだ。「古い」にこれほど多くの感興がこめられているかに驚く。
古い友とは:昔から、最近出会った友でも気心知れた、仲間内だからハメはずせる、異なる信条違う宗教思想でも構わない(レオンはユダヤ教徒)、昔はよく付き合った、今は付き合い減っても気持ちの上では友だ!
などの奥深い含蓄がありそうだ。
日本語の「昔からの友+親友+フンケイ」よりも幅も奥行きも果てしなく大きいのだ。そんな男同士の付き合い方がフランスにはあるのだと知ると、日本人の私は矮小さにおびえる。
このヴィユー古いがすごいのは、日常の会話で使われる気安さも持つのだ。モンヴィユーと初めて言われて時は困った。直訳すると「私の老人」、2日前に知り合った学生仲間からこう気安く声をかけられた。私を「老人」とは一体なんだ、一瞬とまどって返事出来なかったが横から親しい知り合いが「ヴィユーとはサンパの意味になるわよ」と助けをだしてくれた。サンパとは親しいの口語である。
この話しは渡来部が若かりし頃パリに留学していた時の1シーンである。それ以来、耳をすまして仲間の会話を聞いていると古いヴィユーがなんともよく出てくる。日本語の古いにまつわる「古めかしい」「古ぼけた」の意味はなく、気心しれた、親しいだけに使っていた。
モンヴィユー、マヴィエイユ(女友達にはこう言う)が私からもすんなり出てくるころには、いっぱしのボーガァ(ボーは美しい、ガァはギャルソン、このボーを字義通りに信じないでください)となってカルティエラタンに住んでいた(40年以上前です)
私には2人の古い友がいた。梅雨にはなぜか2人を思い出す。(続く)
ブラッサンスのCD写真を添付しました。物故して32年が経過した。渋い声、わかり難い歌詞(というか全く分からないのもある)で人生を唄った歌手だと思います。30年間3枚のCDを聞いていた。
このやりとりでは「古い」がしっくり理解できる。「昔から」の時間的長さが規定されているので、今も親しく付き合っているとのは語感はない。古いの本来の意=古ぼけた=にも結びつく。親しさを表すには「親友」がある。
この「親友」はしかし使いにくくて、その意味は間接的です。どういう事かというと面と向かって=キミは私の親友だ=とはフツーは言わない。では日常でどんな使われ方するかをかんがえると、先ほどの夫婦の話「山田さんて気味が悪いわ、あなたが何時に帰るのかをしつこく聞くのよ」「言い方が乱暴だからな、しかしヤツは親友だから適当に」こんな状況です。山田さんがそこにいないから「親友」と語るので、山田氏に「ボクのシンユーよ元気かね」とは言わない。この語が借り物(漢語)なので日常会話では異質な意味と音の響きを感じるためと思う。
「古くから」と「親しい」を合わせ持つ言葉は日本語には存在しない。「竹馬の友」は子供の時期からの知り合いで、きっと親友だろうが意味としてはあくまで「タケウマ遊び」からの友、これも時間的な尺度を表すだけです。いわくある政商氏を「フンケイの友」と呼んだ宰相がいたが、フンケイ=首切り刑=されても付き合いを守るとの意味らしいが、この語はフツーは使わないし、そもそも日本語になっていない。
突然フランス語になって恐縮だが「古い」と「親しい」を合わせ持つ言い回しがある。古いはヴィユー(女性形ヴィエイユ)でこれが友=アミ=を形容すれば、古い友となる、しかし意味合いは「気心しれた」が勝る。そして日常会話でも詩でも頻繁に出てくる。フランス人がこれをどう使うのかを知りたい方は、ブラッサンス(Georges Brassens=フランスの詩人、歌手1981年に60歳で物故)が唄うヴィユーレオン(le vieux Leon)を聞いてください。(YouTubeで拾ってください)
歌詞は:15年間病気だった「私の古い」レオン、今天国にアコーデオンを携え旅立った。天国でバストラングとジャバ(=いずれも古いダンス音楽らしい)はジェオバの元でも奏でられるのを知るだろう…(出だし部分、全訳は私の仏語力では無理)
アコーデオン奏者のレオンが実在したかどうかは調べられなかったが、Brassensの音楽仲間で幾分古風なアコーデオン奏者と臭わせている。天国ジェオバのもとにとあるから、ユダヤ教徒であるかもしれぬ。仲間ではあるがスタイルの差などで共にステージに立つ機会はそのうちになくなった(前はあったらしい)、15年も病んでいた。レオンは「古い友」だった。
ブラッサンスはこの自作曲を悲しみに流されず朗々と歌う。その状景は埋葬に霧が流れ、その霧につつまれるレオンが天国に立つかに見えた。古い友との惜別、共に仕事した思い出、死後の無事なる昇天、そして病身の友を疎遠に扱った悔悟、これらが歌を聞く者に伝わる。この歌が悲しく響くとしたらレオンが「古い友」だからだ。「古い」にこれほど多くの感興がこめられているかに驚く。
古い友とは:昔から、最近出会った友でも気心知れた、仲間内だからハメはずせる、異なる信条違う宗教思想でも構わない(レオンはユダヤ教徒)、昔はよく付き合った、今は付き合い減っても気持ちの上では友だ!
などの奥深い含蓄がありそうだ。
日本語の「昔からの友+親友+フンケイ」よりも幅も奥行きも果てしなく大きいのだ。そんな男同士の付き合い方がフランスにはあるのだと知ると、日本人の私は矮小さにおびえる。
このヴィユー古いがすごいのは、日常の会話で使われる気安さも持つのだ。モンヴィユーと初めて言われて時は困った。直訳すると「私の老人」、2日前に知り合った学生仲間からこう気安く声をかけられた。私を「老人」とは一体なんだ、一瞬とまどって返事出来なかったが横から親しい知り合いが「ヴィユーとはサンパの意味になるわよ」と助けをだしてくれた。サンパとは親しいの口語である。
この話しは渡来部が若かりし頃パリに留学していた時の1シーンである。それ以来、耳をすまして仲間の会話を聞いていると古いヴィユーがなんともよく出てくる。日本語の古いにまつわる「古めかしい」「古ぼけた」の意味はなく、気心しれた、親しいだけに使っていた。
モンヴィユー、マヴィエイユ(女友達にはこう言う)が私からもすんなり出てくるころには、いっぱしのボーガァ(ボーは美しい、ガァはギャルソン、このボーを字義通りに信じないでください)となってカルティエラタンに住んでいた(40年以上前です)
私には2人の古い友がいた。梅雨にはなぜか2人を思い出す。(続く)
ブラッサンスのCD写真を添付しました。物故して32年が経過した。渋い声、わかり難い歌詞(というか全く分からないのもある)で人生を唄った歌手だと思います。30年間3枚のCDを聞いていた。