蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

古い友 4

2012年08月03日 | 小説
治療院のロビー、ビニール張りの長椅子、一人座って待っていた友人。黒ずんだ額と窪んだ頬、口元を小刻みに震わせながら小さく語った。
「ちょっとだけの休養のつもりでここに来ているんだ。酒の方はきっぱり縁を切った、一滴も口にしない。ただ体調が思わしくないので、しばらく、2-3週かな、居残る」と。私はもっぱら聞く役だった。彼が語る周囲は、

「会社は療養休暇を受け付けている、来月には現役で復帰する。やりかけの仕事は手つかず、やはり俺でないとあのオーギ島のシステムは処理できない。
啓子(奥さん=仮名)は一人で住むのも不用心なので実家に戻っているけど、帰宅すれば国府台から芝に通うことになっている」
聞きながら私は安心した。しかし心底ではこの彼の環境を信じていなかった。疑いを残しながら疑念と不安を押し込めていたのだ。その場で私が異を持ち出せようか。仕事も家庭もそんな風には回らないとでも反論するのか。
そこまで踏み込む人情と突き放す非情も持たない。その通りだと信ずるフリして、今しばらく身体を休めて社会復帰を祈念するとしか返答できない。前向きに、しかし少しも思いやりを込めず返答しただけだ。

湘南から飯田橋への転院、あわせれば4カ月をこえる。復帰は可能だろうけれど、やり残した仕事はとっくに誰かが処理している。担当者が休んだからと言って、仕事を中断する会社など存在しない。復帰してから仕事が与えられるのかも不明だ。再び突然に休養するとなったら、2度目の混乱を招く。その時は私は30歳代半ば、私なりに仕事経験を積んで入るので、否応なくも悲観判断に傾いてしまう。

そして家庭は。
奥さんは彼の状態をどう受け止めているのだろうか。その後、別の友人からは彼が語った説明とは異なる後退の事態を聞いた。「もう復縁は無い、離婚の協議はすでに決まった」と。
一時間ほどの見舞い、サエキを信じ復帰を励まして別れた。
それからの5年、私はサエキと会ってはいない。しかしかなり頻繁に電話で話した。夜遅く、寝につこうとする時刻に電話が入る。サエキだ。彼はオーディオに凝っていたので機器の更新や新譜の批評をした、コンサート、テニス、旅行、カメラなど。初めの数回はそれなりに対応した。しかしそれを越すと話す内容に新鮮さがなくなった。ことごとく同じ展開となる。そしてそれらは10年前、あるいはそれ以前の出来事、事象だったと、私なりに思いついた。その10年とは、サエキには凍結した時間だったのだ。行動も環境も何も変化していない、記憶が10年前で固定して、10年前の自身の世界を語っていたのだ。病の10年を忘れるために。
同じ話、過去の繰り返しに相づちを打つのも億劫で、電話がとても憂鬱になった。着信ベルを鳴るに任せた。

私にも危機が発生した。29歳でかろうじて見つけた仕事が終焉し、39歳で契約の更改が止まった。上司に当たった方が心配して、系列企業で近似した職種を探してきた。ただし大阪。
仕事場所を選択するなどの余裕は私にはなかった。大阪は嫌いだろうと、関西弁が気持ち悪いと嘆く贅沢など無い。赴任する日が決まり、転居の準備全て終わった日に、友人からサエキが死んだと聞かされた。尋ねるもなく彼は「自分で決めた死」と伝えた。
葬式は転居の日になる。ととのった日取りを変えず、通夜だけに彼を弔った。友人の葬式よりも大阪引っ越しが大事だった。
彼の自宅はその時は国府台ではない、都内、私鉄沿線。小さな家だった。ご母堂の取り計らいで最期の別れ、死に顔を見ることが出来た。棺桶の窓を通して5年ぶりに見たサエキは、顔色は青く黒く、頬と額に抉られた傷があった。

レオンは15年も病んでいた(=古い友1を参照)。ブラッサンスは彼の病態を理解できず、その古めかしいアコーデオン演奏が自分のスタイルと合わないからと距離をおいた。病の噂も気に置かず、自身の作詞作曲、独演の活動を進めていった。疎遠の15年、死んでからレオンは「古い友」だったと気付いた。哀悼の唄(Le Vieux Leon)でブラッサンスが懺悔したのは、病に苦しむ友を見舞わず、放擲した己の冷たさである。
サエキは10年を病んだ。私は見舞いロビーの出会いでその病態を知ったので、彼への支援も介入も面倒になると気付き、距離を置いた。
彼が描いた周囲環境を私は無理矢理に信じ、サエキなら復帰できると己に思いこませた。最期の5年間には、サエキからの電話と知れば受話器を取らなかった。関わりから逃げたいと。こんな状況では誰でもそれを選択するし、やはり私もそうした。自分が大事、それは非情さだ。

棺桶のなか眠っているかにサエキは見えた。病の終わりに安らぎを覚えたのか、27歳春の柴又帝釈天と国府台の桜を思い出したのか、成仏するだろう静かな死に顔を見て私は疎遠の10年を反省し、そして救われた。3人仲間のもう一人、タカノは全く違っていた。(次回は=古い友と小さい友=に続く)
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