(9月24日、前回投稿は 9月22日)
勝手気ままな行動、任意な言動の社会、精神に一貫性を見つける。見つける論理、さらにそれを解釈するエネルギーは、カントの教えるentendement=考え力=である。理解力とも邦訳される。それは普遍性がある、全ての人類がこの力を共有するとレヴィストロースは、カントにならって伝えている。これが前回まで。
以上が、本書<le cru et le cuit>の序文(序曲=ouverture)の19頁までの要約となります。「秩序と混乱」「思想と存在」の構造対立が頭の芯で固まっているレヴィストロース師匠には、神話、神話学とはどの様に写るのか。20頁から興味深い文節を引用すると、
<Nous ne pretendons pas montrer comment les hommes pensent dans les mythes, mais comment mythes pensent dans les hommes , a leur insu>
拙訳;人々がどの様に神話を読み解くのかを私たち(彼個人)は主張しない。人は気付いていないけれど、神話が人々の精神に入り込んで、神話として考えているかを探している。
< les mythes se pensent entre eux>
同;神話は自分自身で考える。
人の心に入り込んで考えている。それを見極めるのが神話学である。まさに構造神話学の宣言です。
これまでの神話学とは民族、部族ごとに神話を収集して、主題を特定し似通う他民族の神話を見つけ、歴史との関連と伝播の様を探る。例えば洪水伝説はシュメールのギルガメシュに溯り、半月地帯に興亡した諸民族に伝播の軌跡がうかがえ、紀元前数世紀にユダヤ民族に取り入れられ、旧約聖書に引用されたなど。神話は人々、民族が語り、近隣に伝え、かく広範に伝播する。その主体は人、民族なので「神話」は考える力を持ちません。構造神話学「人の心に寄りつき考えている」はかなりに異質です。
投稿子(ハガミ)なりに神話精神の仕組みを問うと:人の精神には普遍の「考え力」が宿る。人物、動物、天候現象などを記録する仕組みも「考え力」のもとでの思考なので民族を構成する各員には共通の表現として残る。それが神話であり「神話として考える」土台であると。
尊師レヴィストロースは次の文節で「無意識ながら民族文化で一貫性が認められる」神話の理由を続けます;
<il y a dans les mithes le systeme des axioms definissants le meilleur code possible, capable de donner une signification commune a des elaborations inconscientes de l’esprit, de societies et de cultures>
拙訳;神話には公理となるシステムがある。公理は精神、社会、文化のもとでうまれる「念入りに無意識にはぐくまれた」事象を、共通の表現方法で言い表せる符号系を規定する。
拙解;axiome=公理は証明されないから神話の根本潜む自律性は証明する事はない。それがentendementであるとは文脈で理解できる。符号(code)化(=P20で突然出てきた)の手法で、文明が生み出した無意識の事象(elaborations)に、民族に共通の意味付けを与える。
人の思考活動の中で神話の位置に
1 言語
2 いわゆる神話
そして本書「le cru et le cuit」は
3に位置する神話の特質「符号、符号化=code、codage」の表象構造を解き明かすとしている。その手法をとればこそ
<ce livre offrirait l’ebauche d’un code du troisieme ordre, destine a assurer la traductibilite reciproque de plusieurs mythes>
拙訳;本書が解明するのは神話の第3位の符号化(code)についてである。これを持っていくつもの神話の相互依存、関連性を解き明かせるから(掲載図面を御参照)

解説:左コラムは神話を巡る認識の階層、言語が最低位、最上位に符号=codage=化がある。各役割は中のコラム、右に神話の階層を載せました。認識の階層と神話のそれは対応しています。
レビストロースを読む 神話学 生と調理 5の了
(次回投稿は9月28日)
勝手気ままな行動、任意な言動の社会、精神に一貫性を見つける。見つける論理、さらにそれを解釈するエネルギーは、カントの教えるentendement=考え力=である。理解力とも邦訳される。それは普遍性がある、全ての人類がこの力を共有するとレヴィストロースは、カントにならって伝えている。これが前回まで。
以上が、本書<le cru et le cuit>の序文(序曲=ouverture)の19頁までの要約となります。「秩序と混乱」「思想と存在」の構造対立が頭の芯で固まっているレヴィストロース師匠には、神話、神話学とはどの様に写るのか。20頁から興味深い文節を引用すると、
<Nous ne pretendons pas montrer comment les hommes pensent dans les mythes, mais comment mythes pensent dans les hommes , a leur insu>
拙訳;人々がどの様に神話を読み解くのかを私たち(彼個人)は主張しない。人は気付いていないけれど、神話が人々の精神に入り込んで、神話として考えているかを探している。
< les mythes se pensent entre eux>
同;神話は自分自身で考える。
人の心に入り込んで考えている。それを見極めるのが神話学である。まさに構造神話学の宣言です。
これまでの神話学とは民族、部族ごとに神話を収集して、主題を特定し似通う他民族の神話を見つけ、歴史との関連と伝播の様を探る。例えば洪水伝説はシュメールのギルガメシュに溯り、半月地帯に興亡した諸民族に伝播の軌跡がうかがえ、紀元前数世紀にユダヤ民族に取り入れられ、旧約聖書に引用されたなど。神話は人々、民族が語り、近隣に伝え、かく広範に伝播する。その主体は人、民族なので「神話」は考える力を持ちません。構造神話学「人の心に寄りつき考えている」はかなりに異質です。
投稿子(ハガミ)なりに神話精神の仕組みを問うと:人の精神には普遍の「考え力」が宿る。人物、動物、天候現象などを記録する仕組みも「考え力」のもとでの思考なので民族を構成する各員には共通の表現として残る。それが神話であり「神話として考える」土台であると。
尊師レヴィストロースは次の文節で「無意識ながら民族文化で一貫性が認められる」神話の理由を続けます;
<il y a dans les mithes le systeme des axioms definissants le meilleur code possible, capable de donner une signification commune a des elaborations inconscientes de l’esprit, de societies et de cultures>
拙訳;神話には公理となるシステムがある。公理は精神、社会、文化のもとでうまれる「念入りに無意識にはぐくまれた」事象を、共通の表現方法で言い表せる符号系を規定する。
拙解;axiome=公理は証明されないから神話の根本潜む自律性は証明する事はない。それがentendementであるとは文脈で理解できる。符号(code)化(=P20で突然出てきた)の手法で、文明が生み出した無意識の事象(elaborations)に、民族に共通の意味付けを与える。
人の思考活動の中で神話の位置に
1 言語
2 いわゆる神話
そして本書「le cru et le cuit」は
3に位置する神話の特質「符号、符号化=code、codage」の表象構造を解き明かすとしている。その手法をとればこそ
<ce livre offrirait l’ebauche d’un code du troisieme ordre, destine a assurer la traductibilite reciproque de plusieurs mythes>
拙訳;本書が解明するのは神話の第3位の符号化(code)についてである。これを持っていくつもの神話の相互依存、関連性を解き明かせるから(掲載図面を御参照)

解説:左コラムは神話を巡る認識の階層、言語が最低位、最上位に符号=codage=化がある。各役割は中のコラム、右に神話の階層を載せました。認識の階層と神話のそれは対応しています。
レビストロースを読む 神話学 生と調理 5の了
(次回投稿は9月28日)