(前回第一回は2017年 9月13日投稿)
神話学シリーズの第一巻の<Le Cru et le Cuit>(生と調理、1963年刊行)は全397頁に及ぶ。この後<Du miel aux cendres>(蜜から灰)など3巻が矢継ぎ早に発行され、構造主義の切り口で神話を解析する手法が定着しレビストロースをして文化人類学第一人者の地位を確立した。73年にはアカデミー(フランス翰林院)会員に選出された。定着したと述べたが、実はその後、研究者が続かなかった。4巻の内容が膨大難解でさらに「問題の提起からその回答まで」自己完結している完璧さに圧倒されたのかも知れない。左記は投稿子(蕃神ハガミ)の感想である。
フランスアカデミー会員に選ばれたレビストロース、御歳69歳。やや緊張気味、というのは64人の定員なので図抜けた業績と運が良くないと会員になれない。あのデカルトさえ会員になれなかった。写真は著作から。
序曲(ouverture)と名付けられる30頁の前文を読み始める。哲学用語、フランス語特有の修辞の羅列である。その困難さが狭き門と化け、読者は悩む。3回読んで前回(第一回9月13日)で指摘した「本文(=discours)とプロトコル(解説、言い訳)」に分離して本文のみに集中して理解に至った。では本文、その内訳とは;
1 神話学は何を学ぶのか
2 どの様に展開するか(methodologie、方法論)
3 神話とは何物か
番外 神話と言語、音楽の関係に大別される。1に入ろう。
序曲の第一行目、これが構造神話学の宣言である。以下の出だしである。
<Le but de ce livre est de monter comment des categorie empiriques, cru et cuit,freais et pourri…outils conceptuels…>(p9)
拙訳; 生や調理、新鮮と腐敗、あるいは湿っているか炙られているかなど、経験を通して分別する官能則が、如何にして概念の手だてとして抽象思考を表出し、それらを整理し正しい位置に置いているかを証明するーとある。
注)empiriqueの語は経験とするのでそれを用いた。原文に「官能」はない。日本語では資格嗅覚などは官能分野とされるから、この語を追加した。
一読してなにやら分からない。とりあえず生と調理が論理的な言葉を置き換える暗喩法かと理解して、読み進める。巻末346頁に
<La structure feuilletee du mythe permet de voir une matrice de significations rangees en lignes et en collones…l’unique reponse que suggere ce livre est que les mythes signifient l’esprit> と結んでいる。
拙訳;神話の重層した構造に目を向けると、そこに横糸と縦糸との「意味付け」のマトリクスが織り込まれていると気付いた。このマトリクスは伝播し変容し、他の神話の骨格に再形成される。この仕組みが示す究極の「意味合い」についてこの本は「神話は精神である」を唯一の答とする。
巻頭と巻末を合わせると神話には神話の精神が宿り、自己生育、自主活動しているかと読める。340頁余はその神話精神の活動の様が分析され、記載されているのだと勘ぐれる。これが前記1のとりあえずの回答となろうか。序曲を読み進もう。
(P13)
拙訳;神話の研究とはそのやり方がいまだ定まらず、解釈に難しさが生じると、ともかく分解して要素を集めて、これが実体だとするデカルト方法論はそぐわない。注)引用文中の cartesienとはデカルト信奉者、あるいは屁理屈屋。
このあとune forme synthetique au mythe(神話の統合的形態)やらmythe est anaclastique(神話は分解できない)が並ぶ、いずれも分解してはならないと語っている。とくにanaclastiqueは分解よりも破断、破砕に近い。デカルト分解すると神話は壊れてしまう、レヴィストロースの警鐘が聞こえてくる。
ではどの方法論で神話を学ぶのか;
<des filamants epars se soudent, des lacunes se comblent des connections s’etablissent, quelque chose qui ressemblea un ordre transparait derriere le chaos>(P11)
拙訳;(目をこらすと)離ればなれの微かな光芒が寄り集まり、間隙は埋まりそれぞれに繋がりがうち立てられ、混乱の背景に秩序がなにやら見えてくる(宇宙の銀河を神話研究の方法として比喩)
第一回でも述べた秩序対混乱の構造主義です。
秩序が思考側、混乱は物体、その二重性と相互依存、主義の基本理念です。神話に目を向けると数多い異型(variantes)を収集すると定まりのないエピソード、様々な登場人物とその行動、反応などに接することになる。一読では混乱カオスの世界だが見つめることで秩序が浮かび上がる。神話の群を想定し、分解するのではなく、対照して秩序を見分ける。
(次回投稿は9月19日を予定)
神話学シリーズの第一巻の<Le Cru et le Cuit>(生と調理、1963年刊行)は全397頁に及ぶ。この後<Du miel aux cendres>(蜜から灰)など3巻が矢継ぎ早に発行され、構造主義の切り口で神話を解析する手法が定着しレビストロースをして文化人類学第一人者の地位を確立した。73年にはアカデミー(フランス翰林院)会員に選出された。定着したと述べたが、実はその後、研究者が続かなかった。4巻の内容が膨大難解でさらに「問題の提起からその回答まで」自己完結している完璧さに圧倒されたのかも知れない。左記は投稿子(蕃神ハガミ)の感想である。
フランスアカデミー会員に選ばれたレビストロース、御歳69歳。やや緊張気味、というのは64人の定員なので図抜けた業績と運が良くないと会員になれない。あのデカルトさえ会員になれなかった。写真は著作から。
序曲(ouverture)と名付けられる30頁の前文を読み始める。哲学用語、フランス語特有の修辞の羅列である。その困難さが狭き門と化け、読者は悩む。3回読んで前回(第一回9月13日)で指摘した「本文(=discours)とプロトコル(解説、言い訳)」に分離して本文のみに集中して理解に至った。では本文、その内訳とは;
1 神話学は何を学ぶのか
2 どの様に展開するか(methodologie、方法論)
3 神話とは何物か
番外 神話と言語、音楽の関係に大別される。1に入ろう。
序曲の第一行目、これが構造神話学の宣言である。以下の出だしである。
<Le but de ce livre est de monter comment des categorie empiriques, cru et cuit,freais et pourri…outils conceptuels…>(p9)
拙訳; 生や調理、新鮮と腐敗、あるいは湿っているか炙られているかなど、経験を通して分別する官能則が、如何にして概念の手だてとして抽象思考を表出し、それらを整理し正しい位置に置いているかを証明するーとある。
注)empiriqueの語は経験とするのでそれを用いた。原文に「官能」はない。日本語では資格嗅覚などは官能分野とされるから、この語を追加した。
一読してなにやら分からない。とりあえず生と調理が論理的な言葉を置き換える暗喩法かと理解して、読み進める。巻末346頁に
<La structure feuilletee du mythe permet de voir une matrice de significations rangees en lignes et en collones…l’unique reponse que suggere ce livre est que les mythes signifient l’esprit> と結んでいる。
拙訳;神話の重層した構造に目を向けると、そこに横糸と縦糸との「意味付け」のマトリクスが織り込まれていると気付いた。このマトリクスは伝播し変容し、他の神話の骨格に再形成される。この仕組みが示す究極の「意味合い」についてこの本は「神話は精神である」を唯一の答とする。
巻頭と巻末を合わせると神話には神話の精神が宿り、自己生育、自主活動しているかと読める。340頁余はその神話精神の活動の様が分析され、記載されているのだと勘ぐれる。これが前記1のとりあえずの回答となろうか。序曲を読み進もう。
拙訳;神話の研究とはそのやり方がいまだ定まらず、解釈に難しさが生じると、ともかく分解して要素を集めて、これが実体だとするデカルト方法論はそぐわない。注)引用文中の cartesienとはデカルト信奉者、あるいは屁理屈屋。
このあとune forme synthetique au mythe(神話の統合的形態)やらmythe est anaclastique(神話は分解できない)が並ぶ、いずれも分解してはならないと語っている。とくにanaclastiqueは分解よりも破断、破砕に近い。デカルト分解すると神話は壊れてしまう、レヴィストロースの警鐘が聞こえてくる。
ではどの方法論で神話を学ぶのか;
<des filamants epars se soudent, des lacunes se comblent des connections s’etablissent, quelque chose qui ressemblea un ordre transparait derriere le chaos>(P11)
拙訳;(目をこらすと)離ればなれの微かな光芒が寄り集まり、間隙は埋まりそれぞれに繋がりがうち立てられ、混乱の背景に秩序がなにやら見えてくる(宇宙の銀河を神話研究の方法として比喩)
第一回でも述べた秩序対混乱の構造主義です。
秩序が思考側、混乱は物体、その二重性と相互依存、主義の基本理念です。神話に目を向けると数多い異型(variantes)を収集すると定まりのないエピソード、様々な登場人物とその行動、反応などに接することになる。一読では混乱カオスの世界だが見つめることで秩序が浮かび上がる。神話の群を想定し、分解するのではなく、対照して秩序を見分ける。
(次回投稿は9月19日を予定)