上(8月25日に投稿)に続く。(8月26日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/e4/881b9ab7f3792ab932b15efaab1c8c86.jpg)
投稿子の歓声で胆を潰したウータン。タマ動物園に棲む。
(前回)構造主義の土台がカントの認識論、社会人類学へのレヴィストロース的展開とは
<Il decouvre en effet, derierre les choses, une unite et une coherence que ne pouvait reveler la simple description des faits, en quelque sorete mis a plats et eparpilles sans ordre sous le regard de la connaissance.>
訳;(il)構造主義は事象の裏に隠されている一体性、統一を曝いた。知っているだけの眼差しで物事を記述するに、ただにそこに置かれている、秩序も認められず、散らばるだけの(現実の)物事の裏に潜む一体性を曝いた。
(今までの民族学、民族誌学の解析手法は単に見えている事象を平坦に羅列し解釈するだけ。それらの内に潜む=一体性と統一:智で曝く”思想”です=こうした解析には至らなかった)
訳にあたりla connaissance=認識としその価値の「順位」を決めた。rationalite理性力、penseee思考が前引用にでるが、connaissanceはそれらの下位「知っているだけ、理解した(つもりになった)状態」とする。もともとそれがconnaitreの含意でもあるから、訳「知っているだけの眼差し」に納得いただけると信じる。
行句を引用する;
<En changeant de niveau d’observation, et en considerant par deca les faits empiriques les relation qui les unissent, il constate et verifie ces relations plus simple et mieux intelligibles que les choses entre lesquelles s’etablissent et don’t la nature derierre peut rester insondable , sans que cette opacite provisoire ou definitive soit , comme auparavant , un obstacle a leur interpretation>(同)
訳;観察する目線の位置を変え、経験的に確認できるいろいろな事柄を通して、それら(事柄)を結びつけている紐付けに思考を巡らせる。すると、(現実として見えるままの)物事の突き合わせのなかに成り立つ(混乱した)関係よりも、(思考を巡らせ解釈する)関係のほうが単純でより理解しやすい事が判明する。ただし潜む背後が薄ぼんやりしているままで、(正しい)解釈の妨げになるままであったら、それら物事は覚知不能のままで残る。
この引用は、初めの引用を言い換えています。構造主義としての見方ととらえ方。従来手法のそれとの対比です。(思考を巡らせ解釈する)関係、この考え方が前回紹介した智の力(transcandantal先験)の要素のdialectique(弁証法)であるとは自明。
目線、あるいは思考点を(構造主義流に)変えれば、物事の背後に潜む事柄が覚知でき、その様態は(見るがままよりも)単純になるのだとレヴィストロースが教えてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c4/5928a0110381e5ad60dc2d4fd20469d1.jpg)
写真:オーストラリアアボリジンが抱く交差イトコ婚の思想。縦線が父息子の財産委譲の流れ、斜め線は母娘。線は投稿子の追加。写真は親族の基本構造から採取。
この単純かつ分かりやすい背後を「思想」とする。すると事象(形状)は経験則で関知できる現実、物事となる。メルロポンティの現象論(カオスの場と神の意志の芸術、アラカルトに:HP内では紐付けがあり当該頁に飛ぶ)にも影響を受けた構造主義がここに見えてくる。「親族の基本構造」で交差イトコ婚を図式を用いて解説した(アラカルト参照)。図がオーストラリアアボリジンの抱く思想です。そして現実の形状とは日々、実践されている婚姻となる。全ての婚姻が交差イトコ間で締結するなどはあり得ない。相手の家族に適齢の嫁(婿)の候補が見つけられなければ成就しないし、若い男(娘)ならばしきたりで決められている交差イトコの娘(青年)に目もくれず、赤の他人の明子チャン義男君に首っ丈との恋愛ゲームだって発生する。一方で、父から息子に譲る財産(遺産;部族での地位、狩りの権利、狩り技術の伝承などか)、母から娘に渡す財産(土地、家屋、耕作権などか)は社会の規則として決まっているし、この制約は(今の日本の有様を見ても)かなり強固です。この財産委譲の規則に背くことは、どんな社会でも反逆と罰せられる(赤の他人に土地屋敷が相続されたら大騒ぎとなる)。
父が息子をさていて相続紛争発生などの軋轢なしで部族が継続するため、富の委譲の仕組みを婚姻規則に結びつける制度が交差イトコ婚の「思想」である。そして思想と実際が補完して、常日頃の言行に結びついている実体を「構造」とする。
構造人類学「anthropologie structurale」(1953年パリPlon社)では過剰な財物を隣接部族に贈りその部族は破産する。しかし時期を待てば、別部族からのそれに見合う贈り物をうけとる風習(メラネシアのKula、北米インディアンPotlatch)を汎部族社会の連帯維持との思想とし、現実の贈り物のやりとり行動・言辞を形状として、2者を対峙させて構造主義的に分析している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/51/f2a4cd1fd6666944886384b45dff79a5.jpg)
もう一文を引用
<le structuralisme est teleologique , apres une longue proscription par une pensée scientifique encore imbue de mecanisme et d’empirisme, c’est lui qui a restitue sa place a la finalite et qui l’a rendue a nouveau respectable>(615頁)
訳;構造主義は目的論である。長いこと機械決定論と経験主義に浸透されていた名のみの科学思考のくびきをはねのけ、彼(構造主義)は己の立場をしっかと決め、その究極位置こそが彼をして新たな賞賛をうける根拠にもなった。
teleologie目的論を、幾分強い意訳ですが「思想革命」とすると分かりやすい。機械決定論、経験主義は後の文列に出現するPiaget(発生心理学)、Sartre(実存主義)を当てつけている。それら理論はあるメカニズム、外界からの刺激を想定し内部(心理、思考)が変質するとの機械的、経験主義を土台に置いている。またPiagetは「心理発達論」の観点からレヴィストロースへの批判を重ねていた(時期があった)。レヴィストロースはそもそも人に内包する智から人の思考と行動を出発させているので、(外界刺激を発達要因とする)彼らとは相容れない。
レヴィストロースのサルトル批判にも同様の亀裂(智の起源を本来とするか、個人経験とするかの差)を解き明かし、個人経験則から智は発生しないと批判しました。本ホームページの別投稿にあります。上の引用はまさに構造主義の勝利宣言です。
多くの論客(フランス語の文献にも)読み取れる「構造機能論」からの構造主義の解釈へ一矢を報わんと本文をまとめた次第です。(2019年8月末日) 了
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投稿子の歓声で胆を潰したウータン。タマ動物園に棲む。
(前回)構造主義の土台がカントの認識論、社会人類学へのレヴィストロース的展開とは
<Il decouvre en effet, derierre les choses, une unite et une coherence que ne pouvait reveler la simple description des faits, en quelque sorete mis a plats et eparpilles sans ordre sous le regard de la connaissance.>
訳;(il)構造主義は事象の裏に隠されている一体性、統一を曝いた。知っているだけの眼差しで物事を記述するに、ただにそこに置かれている、秩序も認められず、散らばるだけの(現実の)物事の裏に潜む一体性を曝いた。
(今までの民族学、民族誌学の解析手法は単に見えている事象を平坦に羅列し解釈するだけ。それらの内に潜む=一体性と統一:智で曝く”思想”です=こうした解析には至らなかった)
訳にあたりla connaissance=認識としその価値の「順位」を決めた。rationalite理性力、penseee思考が前引用にでるが、connaissanceはそれらの下位「知っているだけ、理解した(つもりになった)状態」とする。もともとそれがconnaitreの含意でもあるから、訳「知っているだけの眼差し」に納得いただけると信じる。
行句を引用する;
<En changeant de niveau d’observation, et en considerant par deca les faits empiriques les relation qui les unissent, il constate et verifie ces relations plus simple et mieux intelligibles que les choses entre lesquelles s’etablissent et don’t la nature derierre peut rester insondable , sans que cette opacite provisoire ou definitive soit , comme auparavant , un obstacle a leur interpretation>(同)
訳;観察する目線の位置を変え、経験的に確認できるいろいろな事柄を通して、それら(事柄)を結びつけている紐付けに思考を巡らせる。すると、(現実として見えるままの)物事の突き合わせのなかに成り立つ(混乱した)関係よりも、(思考を巡らせ解釈する)関係のほうが単純でより理解しやすい事が判明する。ただし潜む背後が薄ぼんやりしているままで、(正しい)解釈の妨げになるままであったら、それら物事は覚知不能のままで残る。
この引用は、初めの引用を言い換えています。構造主義としての見方ととらえ方。従来手法のそれとの対比です。(思考を巡らせ解釈する)関係、この考え方が前回紹介した智の力(transcandantal先験)の要素のdialectique(弁証法)であるとは自明。
目線、あるいは思考点を(構造主義流に)変えれば、物事の背後に潜む事柄が覚知でき、その様態は(見るがままよりも)単純になるのだとレヴィストロースが教えてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c4/5928a0110381e5ad60dc2d4fd20469d1.jpg)
写真:オーストラリアアボリジンが抱く交差イトコ婚の思想。縦線が父息子の財産委譲の流れ、斜め線は母娘。線は投稿子の追加。写真は親族の基本構造から採取。
この単純かつ分かりやすい背後を「思想」とする。すると事象(形状)は経験則で関知できる現実、物事となる。メルロポンティの現象論(カオスの場と神の意志の芸術、アラカルトに:HP内では紐付けがあり当該頁に飛ぶ)にも影響を受けた構造主義がここに見えてくる。「親族の基本構造」で交差イトコ婚を図式を用いて解説した(アラカルト参照)。図がオーストラリアアボリジンの抱く思想です。そして現実の形状とは日々、実践されている婚姻となる。全ての婚姻が交差イトコ間で締結するなどはあり得ない。相手の家族に適齢の嫁(婿)の候補が見つけられなければ成就しないし、若い男(娘)ならばしきたりで決められている交差イトコの娘(青年)に目もくれず、赤の他人の明子チャン義男君に首っ丈との恋愛ゲームだって発生する。一方で、父から息子に譲る財産(遺産;部族での地位、狩りの権利、狩り技術の伝承などか)、母から娘に渡す財産(土地、家屋、耕作権などか)は社会の規則として決まっているし、この制約は(今の日本の有様を見ても)かなり強固です。この財産委譲の規則に背くことは、どんな社会でも反逆と罰せられる(赤の他人に土地屋敷が相続されたら大騒ぎとなる)。
父が息子をさていて相続紛争発生などの軋轢なしで部族が継続するため、富の委譲の仕組みを婚姻規則に結びつける制度が交差イトコ婚の「思想」である。そして思想と実際が補完して、常日頃の言行に結びついている実体を「構造」とする。
構造人類学「anthropologie structurale」(1953年パリPlon社)では過剰な財物を隣接部族に贈りその部族は破産する。しかし時期を待てば、別部族からのそれに見合う贈り物をうけとる風習(メラネシアのKula、北米インディアンPotlatch)を汎部族社会の連帯維持との思想とし、現実の贈り物のやりとり行動・言辞を形状として、2者を対峙させて構造主義的に分析している。
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もう一文を引用
<le structuralisme est teleologique , apres une longue proscription par une pensée scientifique encore imbue de mecanisme et d’empirisme, c’est lui qui a restitue sa place a la finalite et qui l’a rendue a nouveau respectable>(615頁)
訳;構造主義は目的論である。長いこと機械決定論と経験主義に浸透されていた名のみの科学思考のくびきをはねのけ、彼(構造主義)は己の立場をしっかと決め、その究極位置こそが彼をして新たな賞賛をうける根拠にもなった。
teleologie目的論を、幾分強い意訳ですが「思想革命」とすると分かりやすい。機械決定論、経験主義は後の文列に出現するPiaget(発生心理学)、Sartre(実存主義)を当てつけている。それら理論はあるメカニズム、外界からの刺激を想定し内部(心理、思考)が変質するとの機械的、経験主義を土台に置いている。またPiagetは「心理発達論」の観点からレヴィストロースへの批判を重ねていた(時期があった)。レヴィストロースはそもそも人に内包する智から人の思考と行動を出発させているので、(外界刺激を発達要因とする)彼らとは相容れない。
レヴィストロースのサルトル批判にも同様の亀裂(智の起源を本来とするか、個人経験とするかの差)を解き明かし、個人経験則から智は発生しないと批判しました。本ホームページの別投稿にあります。上の引用はまさに構造主義の勝利宣言です。
多くの論客(フランス語の文献にも)読み取れる「構造機能論」からの構造主義の解釈へ一矢を報わんと本文をまとめた次第です。(2019年8月末日) 了