裸の男フィナーレ4,5,6,7は5月18~22日にGooBlogに投稿しました。本日、それらをフィナーレ解説3,4としてホームサイト(WWW.tribesman.asia)に掲載した。内容はブログと同じであるが、

>大前提としていささか哲学から;
人あるいは部族がとある思想(神話)に接する。反応として「同意」と「反意」いずれかにに分かれる。この精神作用はプラトンの説くdialogue対話(正反のせめぎ)に遡るし、批判critiqueとも重なる。人が思考の根源にもつ判断作用である。その知性を先住民が(われわれと)共有している。
同意は神話のidentique(同一)に、反意はinverse(逆立)つながる。先住民神話に両者が認められるとは、そこに方向性を持つ交流がもたれた証拠である。
(レヴィストロースはここまで語っていないから、部族民蕃神がお節介的に注釈した)<

同一も逆立も理性判断の形体としてくくれば、同じなのだ。分かるだろうと教えるレヴィストロース(コレージェドフランスの公開講座1970年代
をさらりと入れてます。レヴィストロースは「同じも正反対」も同一の範疇に入れて論ずる。その訳を探れば上記の哲学に遡るしかない、こう結論づけました。了