蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

共産主義の歴史観 中

2021年05月08日 | 小説
(2021年5月8日)なぜスターリンが獲得形質の遺伝に拘ったのか、彼の思いこみは単純である。
集団教育、矯正、転向、思想改造、さらには長期下獄。これらが共産体制における教育の体制となります。こうした教育強制の目的は人民馴化に他ならない。そしてルイセンコ説を人民に応用すれば、長期視点を見据えた人民馴化、共産化への近道が可能になった、とスターリンが妄想した。
教育を通じて共産形質を「獲得させる」、獲得した共産思考が遺伝する。出来の良いヤツの子孫は生まれながらの共産兵士に鍛えられて世に出てくる。この仕組みを2世代3世代と経ると生まれつきの共産主義者のみ、ブルジョワ構成民を排除した特異点、共産仕様の社会が出来上がる。スターリンの妄想はかくありき(本人に聞いていないから一部憶測)。
この妄想の逆位行動者が「ブルジョワ」であり、その形質もやはり遺伝するから、子孫まで反共産に生まれてしまう。さらには言説を広めたりしたら、無垢な人民がブルジョワ化してしまう。ボードビル結婚笑劇は必ず三角関係でごたつく(親族の基本構造の序章から)けれど、共産主義の弾圧理由も三角関係にある:ブルジョア本人と共鳴者らは、1悪に染まり、2悪を染め、3悪遺伝子をばらまく―のだ。余談ながら東トルキスタンでは今も、中国共産党によるウイグル族への強圧教育が実行され、それは教育だと共産党は弁明している。報道で聞きます。
本文は中国共産党の弾圧例をウイグル弾圧にて止めるが大躍進、文化革命等で毛沢東が強行した共産化への迷走と、ソ連のそれら弾圧との共通に皆様は気づいているかと。以上が歴史弁証法の最左派のレーニン毛沢東主義が教条をもとに歴史を実行するとした例です。

そして;
「la critique de la raison dialectique」をサルトルは1960年に刊行した。前後をたどれば、共産主義を平和勢力と賛美する一文(le communiste et la paix=小筆は未読)を発表し、かつ中国、キューバ、ソ連(いずれの国も暴力革命で共産独裁を樹立)を訪問している(1955、60、62年)。サルトルは(62年の)モスクワ軍縮平和大会に出席し、声明文を発表したはずなのだけれどWikipediaなどネットではなぜか見えない。
この著作「la critique de la…」に表れた歴史観、そこに用いられる語「praxis、pratico-inerte」などは究極(特異点)に向かう歴史の表象を、人の行動にあてはめている。これをとっても未来を基準に現在を分析、批判する視点であると言える。レヴィストロースから批判はそこに集中している。「歴史を自律進展するモノとして捉える」は誤りだと。この論調にて「個が宇宙をモノとして経験する」実存主義も同時に葬り去った。サルトルがレヴィストロースの論難に反論しなかった事実はネットで見えていない。
反論できなかったサルトルの心情景色を喩えると、強力台風18号に破壊された己の住処の「土台と建屋」の惨状を目の辺りにしたからかと推測します。土台は実存主義、建屋が歴史観を換喩しているとは言わずもがななんですが(言っちゃった、換喩は日本語ではあまり使われない、馴染み薄いかと)。


サルトルとボーボワール,1955年北京にてと伝わる。


日本のサルトル有力紹介者は「レヴィストロースは何も分かっていない」なる反論を公言していた(らしい、ネット調べ)。こうした批判こそ文学系の彼は哲学の立ち位置を知らない証です。なぜなら哲学書を読むとは「理解」ではなく「解釈」です。文と行、そこに盛られる語句、文言と言い回し。多重否定、関係詩のつながり(フランス語特有)、暗喩換喩の謎を解いて、これら修辞に散らばる思想をあばく。あばいた流れの解釈に、始めと終わりの辻褄が合えば文論を読み解いたことになる。
一方で著者が、サルトルが言いたい中身は「これだ」「これしか無い」なる金科玉条、別の言で脳みその機械反応は哲学を読むには似合いません。

本稿の終わりにあたり:本9章(Histoire et dialectique)の全体(20頁)のおよそ半分の紹介でした。全文を取り上げない理由には「繰り返し」が読めるため。ただし文章表現での重複ではなく、思考の繰り返しです。その度に内容を深化させていくのですが、そこまで掘り下げないと決めました。(共産主義の歴史観 中 の了)
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