蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学の紹介 5

2024年09月04日 | 小説

(2024年9月4日) « La série des figures que la conscience parcourt sur ce chemin est plutôt l'histoire détaillée de la formation de la conscience elle-même à la science ; mais cette résolution présente le processus de formation sous la forme simple d'une résolution comme immédiatement achevée et actualisée. Au contraire, en face d'une telle non-vérité, ce chemin est le développement effectivement réel » (70頁)
真理追求は行程に例えられる。道なりを走る悟性は、経過する段階にあわせ形状を変える。一連の流れは悟性が理性に昇華する自己形成の現れと言える。かく説明するとこの解決策(形状を変えてゆく)は、たやすく達成できる単純旅程に思える。実際は逆で、この進展は一種のこんな非真理を前にしての、実際的な真理にたどり着く道のりなのである。
Hyppolite:A un doute général (comme celui de Descartes), Hegel oppose le « développement effectivement réel » de la conscience ; la Phénoménologie est ce chemin réel du doute. (同)ヘーゲルは(デカルトの唱える一般的、単に疑うのみ)疑いに対し、悟性の実際的発展を希求する「疑い」を主張する。現象学は疑いの実際への道のりである。


まとめスライド、否定の仕組みと内実


部族民:Hyppoliteは « effectivement réel » 「実際的な真理」に注目している。その意味は、真理に近いところまでには達するが、真理そのものにはなれない。弁証法とは精神現象(理性)が実在に達する工程であるとヘーゲルは諭すのだが、実在(真理)には達しない、これが初めからの大前提に控える。少なくとも1801年(本書の出版年)には前提―とHyppoliteは別ページで脚注している。また「実際的発展」は前文で紹介した「限定否定négation déterminée」に対応している。Hyppolite先生は現象学と弁証法の融和を指摘している。
段階に応じて形状を変えるーこの意味は悟性、己が抱く概念を節目ごとに変遷していく弁証法的進展の意味です。悟性は対象の概念を見極め、己の概念と比べる。しかし現象の仕組み(両者とも非実在)から、両の概念が同一になることは「絶対に」あり得ない。よって悟性は対称を必ず否定し、次段階に向かう。一の段階を経緯するとは「オレの概念と対象の概念が一致しなかったぞ。オレは概念を変えるべ~」と「形状」を変えて、改めて検査に入る。


ヘーゲル。オレ(部族民蕃神)、人を顔で判断する。この写真判断:彼は天才、意思が強い。合わせると文章がシツコイ。

3 非実在、知と悟性、弁証法の創生
« Le système complet des formes de la conscience non réelle résultera de la nécessité du processus et de la connexion même de ces formes. Pour rendre cela concevable, on peut remarquer en général, à titre préliminaire, que la présentation de la conscience non-vraie dans sa non-vérité n'est pas un mouvement seulement négatif, comme elle est selon la manière de voir unilatérale de la conscience naturelle » (同)
悟性は非実際である、その背景とは「流れ」を持ち、立ち止まる段階ごとに形を変える、その必要性を自らが持つ完結体系である。形状の変遷は一貫している。変遷の仕組みと形状前後つながりをもって、体系がその流れをまとめていると言える。本書主題(現象)が示すのは真理ではない悟性が、やはり真理ではない環境(精神)において何らかの表現をとること、そしてこの流れを掴むに、単にそれが「否定」だけではおさまらず、一定方向に向かう規則性を有すると気づく、そこに焦点を当てている。
部族民:形を変えるーは前文の注釈で既述。「完結体系」(système complet)は前文節で、懐疑主義Scepticismeでは真理に到達しないを受けている。限定疑問を通して弁証法が進展する様、この体系を表す。悟性にnon réelle. non-vraie, naturelle と3通りの形容詞(実際でない、非真理、自然な)が用いられるが、同じ意味で悟性はそもそもが非実在、その住まいも非真理の現象の野。
(弁証法の)繰り返しの否定運動を述べる文であり、その運動は一定の方向性を見せそれぞれの段階はつながる(限定否定=弁証法の鍵語、後文)。さて弁証法は1まず否定、2定方向性進展 3前段階を引き継ぎ後段階に渡す、この一文は全くもってヘーゲル弁証法の記述です。

« Le scepticisme, qui finit avec l 'abstraction du néant ou avec le vide, ne peut pas aller plus loin, mais il doit attendre jusqu’à ce que quelque chose de nouveau se présente à lui pour le
jeter dans le même abîme vide. Si, au contraire, le résultat est appréhendé, comme il est en vérité, c 'est-à-dire comme négation déterminée, alors immédiatement une nouvelle forme naît, et dans la négation est effectuée la transition par laquelle a lieu le processus spontané se réalisant à travers la série complète des figures de la conscience* » (71頁)
懐疑主義と比較しよう。それは無ないし空虚の抽象観念で終結し、それを超える進展はない。新たな某かが出現し、己を再び虚無に放り投げてくれと待つしか、懐疑主義に未来は残されない。その動きと真逆を考えてみよう、(前段階の)結果は(後段階に)、あたかも真理であるかに受け入れられる。その意味合いとは限定否定négation déterminéeで、何かがすぐさま新しく生まれる。この「限定」否定が節目momentの更新を生み、悟性の有り様を完結する。流れに沿って自発的に動き出すのである。

Hyppolite 1:*Hegel insiste particulièrement sur ce caractère de la négation qui est toujours négation déterminée et qui par conséquent n'est pas isolable du contenu nié. ヘーゲルはこの否定の有り様を強く主張する、それは限定の否定。限定であるからこそ、否定された内実と切り離されない。(脚注は69頁脚注に続いて2度目の「一般否定」への批判、こちらは « Hegel critique un doute général qui isolerait la négativité de son contenu, et ne serait pas le chemin du doute » ヘーゲルは一般的疑いを批判する。それは疑いを疑い中身から切り離す、これでは疑いを乗り越える道のりは形成されない。ここでは限定の語は用いられていないが、含意は共通する。限定否定は疑う行為と疑ぐる内容に断絶がない。弁証法の中心にこの限定の思考をヘーゲルが置くー Hyppoliteの主張です。

部族民:またHyppoliteはヘーゲル一世代前の哲学者、Shulze手法の懐疑主義と弁証法を比較している。(Schulze= 1761-1833フィヒテや新カント学派に影響を与えたNtakinetから=部族民は彼を語れない、ヘーゲルに戻る)弁証法の否定とは、一旦はそれを「真理か」と仮定して検査(examen)の後、悟性が抱える基準mesureと見比べ、それとは異なるから、必ず否定する。この過程をexpérience経験と呼ぶ。機械的、無省察な (何でもかんでも) 否定するとヘーゲル弁証法を決めつけるのは誤り。
ここで否定はなぜ「必然」なのかを省察したい。検査examenは取り込まれた対象性状を、(精神の)基準と比較する過程なのだが、両者ともに現象として活動している、実際 (réel) ではない。観念内のあやふやな2の基準が合致することは、そもそも実質を持たないのだから、絶対に、ない。たとえ同一と見えても、それだから合致とはいかない。標準原器を持たずして見比べているだけ。故に、悟性は「必ず」否定を選択する。その際に「対象objetよ、キミが抱える概念は真理に、これこれが一歩たりない」一定の基準を預け、対象とのつながりを残す。これが限定否定、これらの流れをHyppoliteは「toujours(常に)否定」と軽く教える。

精神活動を発展させ非実際non-réelの悟性が、réel=実際の存在、真理、絶対知savoir absolu ヒトが近づく。その可能性を与えてくれるのが「目的追求の方向性、前を引き継ぎ後に与える連続性、経験の時空を決められる自発性」弁証法です。ヘーゲル弁証法にヒト思考が潜むのだーが伺える一節である。
Hyppolite 2:Dialectique de l 'inquiétude humaine qui est peut-être une des intuitions fondamentales de l’hégélianisme. 不安に起源を求める弁証法は、ヒト直感の根源から発生しているといえる。Hyppoliteは思考を直感と伝えている。

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学の紹介 5 了 (9月4日)

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