蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

野生の思考LaPenseeSauvage トーテム的分類法 3

2020年07月27日 | 小説
Dogon族の植物分類法をあげている(54頁)
植物を22家族(famille)としている。
それぞれの家族は木、灌木、草と3の構成となる。それらそれぞれは身体の部分(生殖器)、とある技術、社会の構成と交流(correspondance)関係をもつ。

平素は分かれて暮らす植物のメス、ヨモギ類。

これら植物家族は単独に生活する、ともに生活するに分けられる。単独生活の植物はオスとメスに分かれる。これはイチョウなどにあるオス、メスの木を実際的に分けているのではなく、おおよそ関連がない植物同士を家族のオスとメス(夫と妻)としている。雨期(ないし乾期)はつがいを組、それぞれが子を持つ。オスの子はその種の子、メスのそれもメスの種の子。
一方、常に対に生活する植物もまた雨期(乾期)につがいとなってこちらもまた双子を産む。子の分布はA植物がBを生み、BはA を子に持つ。

こちらはオスがわ、セージ。挿絵はいずれも本書から

この分類法で驚かされるのは関連のない植物を交流させる奇抜さではなく、ここで大きな役割を受け持つcorrespondaneceの考え方がアメリカ先住民にも見られる事実があるからとしている。Navaho族民族誌でDurkeim,Maussが報告した内容では;

>生物は言葉なしと言葉ありに分けられ、言葉なしは動物と植物で、動物は走り、飛び、這いに3分され.....それぞれは自然の構成要素と交流correspondaneceを持つ。

アフリカDogon族北米のNavaho族は、ともに自然の分類にかけては長大で精緻で「独自」の分類法を持つことで知られている。その根底にcorrespondanceを置いている。また、分類にはそれほどの巧妙さを持たない民族にしても>Tous les bois sont du saumon>全ての木は鮭である(イヌイット族、Rasmussenの報告から)などこの概念を取りいれている。
すると、西欧の思考では説明が難しいcorrespondanceなるは、世界多くの先住民が取りいれていると言えるのか。

さらに幾つか部族の分類法を挙げたのちレヴィストロースは
>Les classifications indigenes ne sont pas seulement methodiques et fondes sur un savoir theorique solidement charpente. Il arrive aussi qu’elles soient comparables , d’un point de vue formel , a celle que la zoologie et la botanique continuent d’utiliser.(60頁)
訳;先住民の分類法は方法論的であるのみならず、入念にして強固な一種の理論的知識の上に成り立ち、ある種の公式的見方をすれば、動物学植物学が今も用いる分類法にも通じるところがある。

一読してDogon,Navahoの分類法は西欧にも比肩するなどと持ち上げているかに思えるが、要注意である。
Les classi...とles定冠詞複数を用いている。この意味は先住民の分類知識はアフリカであろうとアメリカ、アジアでもすべて共通項があるとの主張である。その共通項はsur un savoir theoriqueである。un savoirとは「一種の」知識である。理論的であるところは同等ながら、DogonとNavahoはそれぞれ「とある一種の」知識となるし、入念にcharpenterされている点には共通性がある。この動詞charpenterは材木を切る、削るが原義である。知恵や知識を削ったり叩いたりはしない。知を削るとの言い回しは日本語にたとえたら「鉄床で頭を叩いて考察力を増す」なる言い方だろう。こんな動作には理解が及ばない。文法は正しいが、表現になにやらの異質が醸し出されている。
さらにun point de vue formelにしても「そんな見方もあるかも知れない」程度の一歩退いた文の調子だ。

>Il n’est donc pas exessif de dire , comme le fait l’auteur de ces observations , que la distribution des plantes et des animaux , ainsi que des nouritures et matieres premieres qui en derivent, offre une cetaine ressembrance avec une classification linneenne simple.
(62頁、ThompsonのNamings in Wik tribesについての論評)

訳;これら事実については報告者(Thompson)もそう述べているのだが、彼ら(Wik族)の植物、動物、食物とその素材に関しての分類法は単純リンネ式分類法と似通う点が無いとは言えない、こう言っても言い過ぎにはならない。

尊師レヴィストロースは不定冠詞の遣い方で独自の修辞をこの文でも発揮している。une certaine...は「何となく似ているかも」が訳。une classification linnne...は「一種の単純リンネ式」。リンネに「単純分類」なるバージョンがあったとは知らなかったが、この言い回しではDogon等と分類学の近代的始祖リンネと似通いは認められるものの、それなりの隔たりがあると判断せざるを得ない。

2の引用を通してのレヴィストロースの伝えかけは明瞭である。

1 近代分類法(リンネ)と先住民のそれは異なる。似通いう部分は思考手順であり、それは理論をたてて演繹で、時には観察を通しての帰納で宇宙を分類し説明する。
2 両者を分ける要素は先住民の「単純リンネ式分類」が採用しているcorrespondance(交流)とarrangement(整え作業)である。
3 correspondance(交流)とarrangement(整え作業)はscience du concret具体科学が駆使する「モノへの拘泥」と「本質重視」の思考に立脚していると思える。

思考の進め方は先住民も文明人と変わらない。この考え方は人類学の基本である。先住民も演繹帰納の思考を持つから1は公理である。

2については、先にarrangementを寄せ集め技術のキー語として説明した。ありきたりそしてある限りの材料、道具で建築する。建築を土木、工芸作品と言い換える事も可能である。神話の創造過程には寄せ集めと整え作業が窺える。先住民の技術、哲学(魔術)、創造(神話)を通して統一性が認められるし、さらに世界観(分類法)に置いても、西欧人には考えがつかないcorrespondanceなる思考の一貫性がある。
上記2,3について推察を深めよう。続く

案内;先にBlog投稿したトーテミズムを、ホームサイトtribesman.netにブリコラージュの中として投稿しております。


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