蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ツエッペリンと戦略爆撃思想 上

2020年02月27日 | 小説
知人から紹介を受け「ツェッペリン飛行船団の英国本土戦略爆撃」(本城宏樹著、日本橋出版)を手にし、さっそく頁を開いた。
本書は飛行船開発に生涯を捧げたツェッペリン伯爵の情熱物語とも読める。その情熱が戦略爆撃に変身してしまう。この過程を「市民を殺し兵を守る」戦争現場の逆転倫理と位置づけ、その発生過程を、本書の紹介と合わせ、考えて見たい。

本書、拡大は下に。

開発の舞台はドイツ、爆撃を耐え跳ね返したのはイギリス。両国の技術、開発工程における思考の差異が見比べられる。一つの兵器の開発と運用の物語ながら、その究極に潜む国民性の差が本書を通して見える。

例えば、
伯爵の情熱としたがこの情熱に、「市民殺し」なる戦略爆撃がすんなり母屋を占めてしまう。ゲルマン民族が正にして負に持つ、いつの間にかの主客逆転の直情性が20世紀にも、世の先端技術を結集した硬式飛行船の空洞に、チュートンの血なまぐささ(東方十字軍の征服)としてとぐろを巻いていたと驚かされた。


観測気球に搭乗した体験(1863年本書から、以下引用と年代は本書)からツェッペリンが硬式飛行船の着想を得た。1874年には原設計図を起こしている。その開発の経緯は資金手当てが主体となる。奥方の持参金まで手をつけるやりくり、そして借金奔走、上層階級との交渉の逸話が経時的に書かれている。これら心痛苦労の連続が情熱の裏返しで、伯爵なしでは硬式飛行船は実用化されなかったであろうと読み取れる。ドイツ皇帝の理解を得て「20世紀最高のドイツ人」なる賞賛を浴びるに至った。

第一次大戦前に、ツェッペリンなどの肝いりでDelag社が発足、定期航空路を開拓、運営していた事実を知った。飛行船(ハンザ)の外観と客室内に集う人々の風景。彼らの身なり物腰は大戦前の上流階層にして優雅さそのものである。しかし皆が真剣な目差しで地を見下ろしている。彼らにしてもこれほどの上空(1000メートルほどか)から地上を見下ろすは、初めての体験であろう。個人として大冒険であるかもしれない。佇まいに、写真からでも、気の張りつめが伺え飛行船の先進性とはいかにが理解できた。

本書の写真から。ハンザの客室風景。人々は談笑していない。固唾を呑んで見下ろしている。なお本書の魅力の一つに写真の多さがあげられる。おそらく200葉を越すであろう。ノンブルを振っていないのはあまりの多さであるからだろう。

この定期航空路(ヨーロッパ内陸航路)は当時(1909~1914年)世界で唯一の航空運営体で、かつ飛行機も含め世界で初めての航空事業会社であったとは知らなかった。

幾十人もの乗客を載せ定期運行する;
一次大戦前に硬式飛行船の技術は確立されていた。その背景を著者は分析する(11頁);

1 伯爵の熱意、それに賛同し参加する人材。幾人もの固有名詞が並ぶ。マイバッハ、ドルニエなど今も名を残す優秀な技術者が壮大な計画に引きつけられた。
2 建造に必要な構成品。特に軽量で頑丈な素材による構造体。小型で大出力の内燃機関。

上記2の2点がクリティカルコンポーネントであった。
構造の素材に当時、漸く工業化された(1890年代、ネット百科)アルミニウムを採用、内燃機関にはダイムラー社からの供給が決まった。ダイムラーが自動車エンジンを開発したのは1889年(本書11頁)なので、最先端の技術を組み合わせである。2点はドイツでなければ入手出来ないし、ドイツに居なければマイバッハなどの人材は集まらない。故にドイツ人でなければ「船を空に浮かべる」夢を実現しようとは思いもしなかっただろう。

ツェッペリンの先見性とはまさにこの夢にあり、夢につながる素材を発見し、供給、契約にこぎ着けた実行力にあった。カイザー(皇帝)ウイリアム2世の評「20世紀最高の…」は「ドイツ人に生まれ変わったダヴィンチ」と言い換えられそうだ。

以上、商業運用に至るまでを序章として読んだ。

小筆の関心は「戦略爆撃の思想」はどの辺りにあるのかである。ツェッペリン爆撃とは「戦略爆撃の嚆矢」とされるから、本書の読破はうってつけである。続く

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