(2107年10月26日)
レヴィストロース神話学の第一作「Le Crue et le Cuit」(生と調理、出版Plon社1963年)は音楽作品の形式で各部を「楽章」に分けています。第一楽章「テーマと変奏」その1「ボロロ族の歌」。その解説を前回(5回)までに終えました。
その2に入ります、表題は「変奏曲ジェ語族」です。
火の起源を主旋律にとる6の神話を紹介しています。本書の主旋律の出もとは基準の神話M1「ボロロ族、鳥の巣あらし」です。そのあらすじに戻ると
<鳥(金剛インコ)の巣に雛を求める親子、子(ヒーロー)の不手際に父親はハシゴを外して戻ります。子はトカゲの生食で飢えをしのぎますがハゲワシについばまれて死ぬ。トカゲに化けて村に戻ります。村を洪水が襲い、全ての火が消えた。ヒーローが守った火だけが残った>この筋=旋律=がどの様に変奏されているを探る、これが2部の目的です。
神話7( M7, Kayopa: origine du feu)カヨポ族火の起源、あらすじは;
<.Ayant repere un couple d’aras niches au sommet d’un rocher abrupt, un Indien emmene son jeune beau-frere, pour l’aider capturer les petits…>(P74)
訳:絶壁の頂上に金剛インコの巣をみつけた一人のインディアン(南米原住民)、義理の息子(ヒーローのボトック)を従え雛を捕らえるとした。後続は(引用無しで);
息子は卵が二個しかないと言い張る、義父に卵を投げつけるが石に変わって義父を傷つけた。義父は怒りハシゴを外して村に帰った。取り残され空腹のボトックを助けたのはジャガー、家に連れ帰って焼いた肉を振る舞った。しかしジャガーの妻はボトックに冷たくあたる。それを嘆くボトックにジャガーは弓矢を与え、己の妻を殺す手段を教えた。ジャガー妻を殺したボトックは焼き肉を土産に村に戻る。男達に焼き=調理の秘密を話すと「火を盗もう」とジャガーの巣に遠征する。その場の肉を焼いてたらふく食べて、熾火を盗み揚々として村に帰った。今、ジャガーが人に対敵する訳は、人に火と弓矢の秘密を盗まれたためである。<Il chasse avec ses crocs et mange la viande crue, il a solennellement renoces a la viende grille>以来、ジャガーは牙で獲物を殺し、生肉を食べる。厳粛に、焼く工程を拒絶したのだ。
写真:お昼寝の夢はおなかいっぱい豚のこんがり焼き(作者の著書からコピー)
第一変奏には5の変奏曲が続きます。これらはそれぞれに小差、あるいは顕著な違いが認められます。従来の「神話学」では違いとは伝播する過程での不手際、これをvariente=変異として、差異の多寡から歴史、民族的な距離を語っていました。レヴィストロースの手法は神話表現の背後に隠れる「思想」を解明して、思想の転換振りを比べる処にあります。
Le cru et le cuit 85頁の表、解説は下記に
手書きの表は本書85頁の表を翻訳して手書きしました。M7~M12が変奏曲です。M7,8は同一民族(Kayapa),M9~M11は2民族(apinayeとtimbina)ながら近接している。)M12 (sherente) は風習制度で異なる民族。(民族の分布地図は10月13日に投稿)
1~7の縦列はsequence=場面です。場面ごとに符号codeを設定し、符号化codageを+-で発展させている。0は記述が欠けている。
1のヒーローの行動とは積極な意思表示があったか、すなわち「巣に雛は見つからない」などとの偽りは+、親インコの反撃で雛を盗めなかったなど消極は-です。M7では「雛はいない卵だけだ」と子は伝えます。しかし義父は間接証拠から雛に育ったと分かる訳で「じゃあその卵を投げろ」と命じた。子が投げた卵が飛礫になって義父を傷つけた。「雛でなく卵」子の偽りは明白ですが、当神話の採取者(サレジオ会神父)の脚注を尊重して(=何らかの事情でそうなった、子の反逆はない)括弧付きの+にしています。2ヒーローの汚れとは取り残され鳥に糞をかけられる、虫が湧く(死ぬ)を意味します。Jaguarの注意とはジャガーが取り残されたヒーローを自ら見つけるか、ヒーローの合図で見つけるかの+―です。(M9ではヒーローがつばを吐いて知らせる)。5の無関心とはジャガー妻のヒーローへの仕打ちへの無関心(+)、あるいは忠告するなどの態度(-)です。
これらのcodeとは前回までのテーマ「連続と断絶、nature/culture」との繋がりが認められます。+は断絶(その願望)と断定できます。そもそも基準のM1、ボロロ神話は断絶への希求が旺盛です。M7にも断絶の志向が影響されている。M1の変奏ならばメロディに断絶の影を見つけるのも宜なるか。
レヴィストロースの指摘は
1 kayapa族のボロロとの共通性、断絶(+)が多い、一方apinaye/timbinaは断絶の否定(―)が多い。ここでメロディは短調に変調したか。
2 M12sherenteには内容に一貫性がない(採取の品質か)、しかしながらヒーローの行動と妻の仕打ち(爪を立てて殺す仕草をヒーロー見せるなど)際だつ+がある。これは社会制度との関係か(sherenteのみが父系社会)
を上げています。
M13は付け足し。
M12で鼻グマ狩りの一場に関して「南米神話では鼻グマ狩りのエピソードは散見する。その一つとして(パラグアイのガラニ族神話)」を挿入している;
「チャリアは女鬼、狩りに出て鼻クマをしとめた後、木に登った太陽神をめざとく発見、矢を放った。見事命中、太陽神は落木して糞を垂れた(毒矢で仕留められた症状)。糞と太陽神を葉っぱにくるみ籠に詰めた(偉い人、動物の糞はおまじない)。帰り際に漁を試み、籠を岸に置いた。木から落ちたのも、糞のひねりも、実は、太陽神の演技。仕留められていないから石ころ一つを置いて逃げ出した。ついでに鼻グマも蘇生させて逃した。帰宅して子らにチャリアは
「今日は獲物が多いぞ、鼻グマにニアカンラチチャン(太陽神の本名)だ」子らはワーイで籠を取り巻き中身を出した。「カーちゃん、糞と石ころしかない」「アレーッ、騙された」女鬼チャリアはがっかり。
堅苦しい文面にさらり、お笑い譚を挟むはレヴィストロースの「茶目っ気」でしょうか。上記M13にはcode分析は試みられてません。
神話と音楽 変奏曲ジェ語族6 の了(2107年10月26日)
(次回投稿は10月30日予定、過去投稿は10月13、16、18、20、26日)
レヴィストロース神話学の第一作「Le Crue et le Cuit」(生と調理、出版Plon社1963年)は音楽作品の形式で各部を「楽章」に分けています。第一楽章「テーマと変奏」その1「ボロロ族の歌」。その解説を前回(5回)までに終えました。
その2に入ります、表題は「変奏曲ジェ語族」です。
火の起源を主旋律にとる6の神話を紹介しています。本書の主旋律の出もとは基準の神話M1「ボロロ族、鳥の巣あらし」です。そのあらすじに戻ると
<鳥(金剛インコ)の巣に雛を求める親子、子(ヒーロー)の不手際に父親はハシゴを外して戻ります。子はトカゲの生食で飢えをしのぎますがハゲワシについばまれて死ぬ。トカゲに化けて村に戻ります。村を洪水が襲い、全ての火が消えた。ヒーローが守った火だけが残った>この筋=旋律=がどの様に変奏されているを探る、これが2部の目的です。
神話7( M7, Kayopa: origine du feu)カヨポ族火の起源、あらすじは;
<.Ayant repere un couple d’aras niches au sommet d’un rocher abrupt, un Indien emmene son jeune beau-frere, pour l’aider capturer les petits…>(P74)
訳:絶壁の頂上に金剛インコの巣をみつけた一人のインディアン(南米原住民)、義理の息子(ヒーローのボトック)を従え雛を捕らえるとした。後続は(引用無しで);
息子は卵が二個しかないと言い張る、義父に卵を投げつけるが石に変わって義父を傷つけた。義父は怒りハシゴを外して村に帰った。取り残され空腹のボトックを助けたのはジャガー、家に連れ帰って焼いた肉を振る舞った。しかしジャガーの妻はボトックに冷たくあたる。それを嘆くボトックにジャガーは弓矢を与え、己の妻を殺す手段を教えた。ジャガー妻を殺したボトックは焼き肉を土産に村に戻る。男達に焼き=調理の秘密を話すと「火を盗もう」とジャガーの巣に遠征する。その場の肉を焼いてたらふく食べて、熾火を盗み揚々として村に帰った。今、ジャガーが人に対敵する訳は、人に火と弓矢の秘密を盗まれたためである。<Il chasse avec ses crocs et mange la viande crue, il a solennellement renoces a la viende grille>以来、ジャガーは牙で獲物を殺し、生肉を食べる。厳粛に、焼く工程を拒絶したのだ。
写真:お昼寝の夢はおなかいっぱい豚のこんがり焼き(作者の著書からコピー)
第一変奏には5の変奏曲が続きます。これらはそれぞれに小差、あるいは顕著な違いが認められます。従来の「神話学」では違いとは伝播する過程での不手際、これをvariente=変異として、差異の多寡から歴史、民族的な距離を語っていました。レヴィストロースの手法は神話表現の背後に隠れる「思想」を解明して、思想の転換振りを比べる処にあります。
Le cru et le cuit 85頁の表、解説は下記に
手書きの表は本書85頁の表を翻訳して手書きしました。M7~M12が変奏曲です。M7,8は同一民族(Kayapa),M9~M11は2民族(apinayeとtimbina)ながら近接している。)M12 (sherente) は風習制度で異なる民族。(民族の分布地図は10月13日に投稿)
1~7の縦列はsequence=場面です。場面ごとに符号codeを設定し、符号化codageを+-で発展させている。0は記述が欠けている。
1のヒーローの行動とは積極な意思表示があったか、すなわち「巣に雛は見つからない」などとの偽りは+、親インコの反撃で雛を盗めなかったなど消極は-です。M7では「雛はいない卵だけだ」と子は伝えます。しかし義父は間接証拠から雛に育ったと分かる訳で「じゃあその卵を投げろ」と命じた。子が投げた卵が飛礫になって義父を傷つけた。「雛でなく卵」子の偽りは明白ですが、当神話の採取者(サレジオ会神父)の脚注を尊重して(=何らかの事情でそうなった、子の反逆はない)括弧付きの+にしています。2ヒーローの汚れとは取り残され鳥に糞をかけられる、虫が湧く(死ぬ)を意味します。Jaguarの注意とはジャガーが取り残されたヒーローを自ら見つけるか、ヒーローの合図で見つけるかの+―です。(M9ではヒーローがつばを吐いて知らせる)。5の無関心とはジャガー妻のヒーローへの仕打ちへの無関心(+)、あるいは忠告するなどの態度(-)です。
これらのcodeとは前回までのテーマ「連続と断絶、nature/culture」との繋がりが認められます。+は断絶(その願望)と断定できます。そもそも基準のM1、ボロロ神話は断絶への希求が旺盛です。M7にも断絶の志向が影響されている。M1の変奏ならばメロディに断絶の影を見つけるのも宜なるか。
レヴィストロースの指摘は
1 kayapa族のボロロとの共通性、断絶(+)が多い、一方apinaye/timbinaは断絶の否定(―)が多い。ここでメロディは短調に変調したか。
2 M12sherenteには内容に一貫性がない(採取の品質か)、しかしながらヒーローの行動と妻の仕打ち(爪を立てて殺す仕草をヒーロー見せるなど)際だつ+がある。これは社会制度との関係か(sherenteのみが父系社会)
を上げています。
M13は付け足し。
M12で鼻グマ狩りの一場に関して「南米神話では鼻グマ狩りのエピソードは散見する。その一つとして(パラグアイのガラニ族神話)」を挿入している;
「チャリアは女鬼、狩りに出て鼻クマをしとめた後、木に登った太陽神をめざとく発見、矢を放った。見事命中、太陽神は落木して糞を垂れた(毒矢で仕留められた症状)。糞と太陽神を葉っぱにくるみ籠に詰めた(偉い人、動物の糞はおまじない)。帰り際に漁を試み、籠を岸に置いた。木から落ちたのも、糞のひねりも、実は、太陽神の演技。仕留められていないから石ころ一つを置いて逃げ出した。ついでに鼻グマも蘇生させて逃した。帰宅して子らにチャリアは
「今日は獲物が多いぞ、鼻グマにニアカンラチチャン(太陽神の本名)だ」子らはワーイで籠を取り巻き中身を出した。「カーちゃん、糞と石ころしかない」「アレーッ、騙された」女鬼チャリアはがっかり。
堅苦しい文面にさらり、お笑い譚を挟むはレヴィストロースの「茶目っ気」でしょうか。上記M13にはcode分析は試みられてません。
神話と音楽 変奏曲ジェ語族6 の了(2107年10月26日)
(次回投稿は10月30日予定、過去投稿は10月13、16、18、20、26日)
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