蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

親族の基本構造の結語章6 歴史人類学の視点 下

2021年10月15日 | 小説
(2021年10月15日)10月8日から連載している「親族の基本構造の結語章」は5回を数えるに至りました。皆様のご訪問のおかげと感謝いたします。前回(13日)は;

1 親族構造は社会そのものである
2 交換形体は2(限定、一般化)を数えるが、それらは排他性を持たず、両方式が混在する事例は多い。
を挙げました。

ここに疑念が;1 は受け入れるとする。それと2の整合が取れない。政治、経済を例に取ると、これは原則の範疇であるから、いずれかの一方に決まっている。とするしなければ纏まらない。例えば経済は資本主義と計画経済があって、政治は民主主義と独裁体制に分かれる。どれも排他的であります。経済を自由解放しているとする中国がいまも共産主義国家と分類されるのは、生産財(企業と土地)を国家管理としているからに尽きます。
同じく同国の例で市場競争を取り入れ資本主義の側面を見せるけれど、突然の株式専有(共産党による乗っ取り)あるいは活動制限(敵対勢力の収入絶ち)など計画経済の悪性(権力を握る者の専横)が根底に見えている。
民主主義、資本主義とは根底で相容れない国です。
2を認めると「あまねく部族社会に女の交換の形体は混在している」。すると社会を規定する主因にはなりえない、1が成り立たないとの結論がでてしまう。


写真は著作裏表紙のデジカメ、さる市図書館蔵。伴侶モニックとの2ショット。数多いレヴィストロースの画像でもこの写真のみが笑っている。日本からの招待で隠岐の島への観光遊覧、秘境の様が気に入った伴侶にしてやったりの笑みと勘ぐる。構造主義の論点から2の背反する交換様式が並立するワケを下に書いた。


そこで考えた;
レヴィストロースは構造主義を標榜している。考えの進め方を構造主義に合わせないと理解できない。その主義の基本は「見えているモノ」対「見えていない思想」の対峙である(構造主義とは何か?「猿でもわかる構造主義」などでの解説は部族民通信のホームサイトwww.tribesman.netにご訪問乞う。サイトに入ってリボンの哲学を押すか左上のGoogleサイト検索で「構造主義」で探すと行き着く)
親族構造と交換形体は見える側に位置します。いわば見えている規則。これが社会を決定しているのではない。それらはこれを生み出す「思想」の客体objectであって、思想が社会の本質をきめる。それは;


2の交換のいずれにも伴う「不等価、不均衡」の歪み。これが見えない側、すなわち交換するという実行為の思想です。限定交換を上げれば贈り手は女を贈るのみ、貰い手に利得を与えるだけ。女を貰ってもらった相手から(後に)別の女を返し貰うまでは不等価が存在し、不均衡が両者にわだかまる。
一般化交換では贈り手は交換巡回のはてに、貰い手の資格を得るのですが、巡回が閉まるまで不均衡です。(不等価交換の詳しい説明は部族民通信www.tribesman.netホームサイトへ)。これが「不等価、不均衡」部族社会の歪み、交換する行為に歪みの思想が対峙する。
両の交換とも「思想」に偏移は見えない。故に上記の2はあり得るのです。
またいずれかは不等価を解消せねばならない、この圧力(exigences)がアボリジニなど部族民社会の維持因となります。

北米(カナダ沿岸部)先住民の奇習ポトラッチを例に挙げる。
一部族が隣接部族に贈り物を捧げる。受け取った部族は価値を追加して、別の隣族に贈り回す。貰ったら加増して別部族に回し贈る。この順番を繰り返し、価値(装飾品などらしい)もウナギ登り。とうとう「これ以上の嵩上げは不能」となったら、ワリを食った(栄誉を上げられない)部族が贈品財貨の全てを海に捨てる。人々の意地の塊、財物は消えてしまった、族民を巻き込んだお仕着せ合戦が終焉する。交換の原理で流れを解析すると; 
1 贈る過程に不等価 2 貰えない不均衡 3 歪みを解消するために財貨を破棄。
1~3の過程で不等価、不均等の思想が族民社会の団結原理として働いている。

まとめると歴史地理の観点とは;1技術の進歩と社会の発展の法則、2婚姻の制度は原初の「限定交換」から進化した「一般化交換」に変容するとの視点。
レヴィストロース流構造主義による説明は
「限定、時に一般化、あるいは2の混在(Murnginの例)での不均衡をもたらす交換が社会を形成する。 交換の形態が進展しているのではなく、交換サイクルを単性とするか(贈った相手から貰う)、周回とするかは族民の選択」

機能主義人類学からの近親婚禁止説明の批判に入る。
Malinowski(社会人類学、1884ポーランド1942年アメリカ)による近親姦禁止の説明。
<La prohibition de l’inceste résulterait d’une contradiction interne, au sein de la même famille biologique, entre des sentiments mutuellement incompatibles, ainsi les émotions qui s’attachent aux rapports sexuels et l’amour paternel ou <les sentiments naturels qui se nouent entre frères et sœurs>(557頁)
訳:近親姦の禁止は、家族内部の相反する、相成りたたない感情に起因すると見られる。それとは父親としての愛情と娘への性的欲望、さらに兄と妹の間柄にまつわる、相反する感情である。
以下に続く、
<Ces sentiments ne deviennent toutefois incompatibles qu’en raison du rôle culturel que la famille biologique est appelée à jouer : l’homme doit enseigner ses enfants, et cette vocation sociale, s’exerçant naturellement au sein du groupe familial, serait irrémédiablement compromise si des émotions d’un autre type venaient bouleverser la discipline indispensable au maintien d’un ordre stable entre les générations : < l’inceste équivaudrait à la confusion des âges…後略(同)
訳:家族が社会に託されている役割とこの感情はけっして両立されない関連ではない。親は子に教育を施すであり、自然と家族内部でこの使命が醸し出される。しかしながら別種類の欲情が湧き出てしまうと、使命は取り返しつかない状況に追いやられる。世代間の安定した秩序を維持する遵守、恭順をなけなしにしてしまう。近親姦は年齢差の混乱に端を発する…

親族の基本構造の結語章6 歴史人類学の視点 下の了(2021年10月15日)

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