蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

アジア部族民 氷の接吻(駅ホームの場)下

2011年06月24日 | 小説
前回=>地下鉄南千本駅、予告した時間に妻明子が降臨した。イクオはサキ(愛人)の指示とおり近寄り、楽園行きを思いとどまらせようとした。しかし足が出ない=

以下は本文

「なんて俺は鈍いのだ、スタートを切ってもなぜか足が動かない。これがいつもの癖なのだ、しかし二歩目はもっと速くなるし、三歩以降ではびっくり俊足に改善していくのだ。あっという間の大進化、それが俺の持ち前なのさ。
だからよう、一歩目よ出て行け。しかしでない。とてつもなく一歩目が重い。なぜ動かないのだ、そんな馬鹿な足のせいで、せっかく降臨してくれた明子に近付けない、明子の左手をとれない。霊になってもキミは僕の妻だと言えないじゃないか。
ああ明子が消えてしまう、もうほとんど見えなくなった」
一歩の出だしが遅れたのは、物理的理由があったからだ。
イクオの足は、地から突然わき出たとしか考えられない邪魔の手に掴まれたのだ。踏み出そうとする踝が大きな手でしっかりと掴まえられたのだ。
「動かない足、その原因がこれだ、ホームから手が伸びて掴んでいるのだ」
 その声は泣きの涙すら混じった悲痛な叫びだ。

手が地からわき出たのではない。その持ち主は山本刑事である。
山本はサキとイクオの視線が、ホームを越して地下鉄路に向かっているのを見てとった。彼らは、急行に乗るのを突然止め、所在ないままにホームに立ちつくしている。
そのうつろな視線の先は地下の闇トンネルだ。なにやらホーム先端を指さして騒ぎ始めた。

「危ない、きっと飛び込むのだ。イクオほどの悪人だって、罪を悔い反省することだってある。あれほどの罪だから、悔い改め、自己嫌悪に陥っているのだ」
這いつくばい、下から近寄れば飛び込みを防ぐ事が出来るとにじり寄り、彼の真下に位置を取り、飛び込み阻止の機会を伺っていた。
イクオがホームの端を差しながら「死んでいる明子があそこに見える」など虚言を弄しているのを聞いた。山本も当たりを見回したが、誰も立っていない。
照明が途切れているので暗い。「トイレはホーム中央階段へ」の煤けた案内板が見えるだけだ。
イクオがホーム端に走り寄ろうとした。同行の白川サキとされる女が「さあ走るのよ」などとけしかけている。「危険」な兆候になってきた。
「危険」山本にとってとは、有力容疑者が捕縛前に自殺してしまう事態だ。思わずイクオの足を掴んだ。

そして、
「お前が指さすあそこには誰もいない。お前が言う影なぞ見えるものか。しかもお前はその影とやらを明子と言っただろう。明子がお前の連れ合いだとはとっくに承知だ。
しかし明子は死んでいる。お前が和久井峠の谷底に車ごと落としたのだ。亡者の明子の姿が見えるわけがない。
お前が罪を悔やむのは分かるが、線路に飛び込むなんて馬鹿な真似はやめるのだ」
イクオの足が出なかったのは、山本が両足をタックルしたからである。

「なぜこんな人が出てきたの、一体この人は誰なの、なぜイクチャンを止めるの」
サキは突然出現した山本に驚いた。続けて、
「あそこに行って明子さんを止めなければ、二人は永久に別れてしまうのよ」とサキが山本をイクオから引きはがそうとした。しかし女の力には限界がある、山本はびくとも動かない。イクオは下を向いて、足にしがみつく男に気づいた、
「馬鹿ヤロー、お前一体誰だ、なぜこの場で邪魔するのだ。分かったぞ、お前は本山派の拉致野郎じゃないか、水かけられたうらみがあるのか」と罵る。
前を向き、ホームの端を高く指さしながら、
「ああ消えていく、明子が消えていく。これで二度と会えない」と泣きだした。

その時である、ホーム端の二人の影がポーンとホームを飛び降りた。主体が影ではあるので、重さなど無いのだが、身投げと同時に「ポーン」と音が聞こえたのだ。少なくともイクオとサキには影が身投げするのを見て、そして聞いた。
二人の身投げが描く軌道は、その身の軽さを反映していた。上向きに飛び上がり下に向かって緩やかな放物弧を描いた。重力に引きずられる生身の人は、垂直に落下するしかないので、我らにはとても真似の出来ない優雅な身投げだった。ふんわりと線路に着地したのである。
サキにも宙をとぶ身投げは目視できた。
「ああ線路に飛び降りた、そしてコタロウが、明子さんが線路を走っていく、すごい勢いで疾走している、下りの線路をドンドン走っている。
地下鉄路の闇の奥に、つないだ白い手が消えていった。コタロウが闇に消えていく」
サキは涙声になっていた。

(氷の接吻は現在加筆中です、全700枚を越す長編になります。アジア部族民のHP=部族民通信=での掲載を企画しています。またダイジェスト版として来週にもバッティングセンターのコタロウ、氷の楽園をGooブログに掲載します)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アジア部族民 氷の接吻(駅... | トップ | 島倉千代子駒ひき考 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事