蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

野生の思考ブリコラージュ 2

2020年07月16日 | 小説
(2020年7月15日)
前回15日投稿のまとめ; 1 寄せ集め思考は今の我々にも残る。 2 完成結果が予測できないまま進める。 3 魔術との類似性

続く文節は ;

>deux types de connaissance scientifique que nous avons distingues=後略<2の科学認識法がある。後の文(略)には「それらを比較する事が重要である」としている。

2の科学認識法とは前章で縷々述べていた「具体科学」と「近代科学」に他ならない。過去投稿のホームサイトでは「野生の思考を読む」4~6回(具体科学と魔術)にGooBlogでは6月21日以降、投稿を重ねている「野生の思考を読む」に詳しい。ここにかいつまみ説明すると。

1 具体科学の思考はモノの分類、形態学に立脚している。モノを通して宇宙を説明する考え方である。
2 魔術ではモノの本質を探り、起因、発生を経時、共時の因果律に特定する。一つの形而上、メタフィジックである。菅原道真の本質を「恨み」とし、共時因果(冷遇やら左遷など)を設定し、彼の死(モノ)と落雷(これもモノ)を経時因果として説明する。

日本の例を解説しているが、モノの因果にメタフィジック思考を展開して、それを律として定着させる思考は世界で共通であろう(本書に取り上げられるスーダンのAzenda族はとある男の不運を同様の思考展開で語った)

こう考えていくと具体科学、魔術、Bricolage 寄せ集め思考は一つの塊として整理できる。それを野生の思考とすると具体科学の立ち位置(それに魔術、寄せ集めも)が理解できる。
次章で「分類」を取り上げているがこれは具体科学の世界観となる(近代思考での科学技術)。「野生の思考」PenseeSauvageとは;

1 具体科学(世界観、分類学) 
2 魔術(哲学、因果律、決定論) 
3 bricolage(科学、技術論)

本書の1~2章が伝える内容の全貌が見えてくる。

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日光東照宮 ブルーノ・タウトをして「建築の堕落だしかもその極致である」言わしめた装飾

Bricolageは野生の思考での創造(作業、作品)活動として位置づけられる。これを近代科学の技術論との比較を試みる。ここが>deux types de connaissance scientifique<である。

>Le bricoleur est apte a executer un grand nombre de taches diverdifiees ; mais a la difference de l’ingenieur, il ne subordonne pas chacune d’elles a l’obtention de matieres premieres et d’outils concus et procures a la mesure de son propre projet : son univers instrumental est clos , ....(後略 31頁)
訳;「寄せ集め」の従事者はあらゆる種の様々な作業に手をつける。しかし(同じく多岐の仕事に携わる)「技術者」との違いは、それら作業の遂行が(手持ちの道具のみでは)困難だからとして、より有効な素材、工具を工夫する、見つけて持ち込むなどはしない。彼の工具の世界は閉ざされているから。

注;Le bricoleur寄せ集めの従事者は単数で表されるが集合名詞として読む。あらゆる寄せ集めの作業者(民芸品の制作者、魔術師、形態で森羅万象を説明する具体科学の学者)を意味する。
彼らの「科学方法論」は解決すべき演題、あるいはやり遂げなければならない仕事が課せられたとしてもその作業の中味を分解、吟味などせず、手持ち素材と道具を駆使して解決するところにある。彼(集合名詞として寄せ集めの従事者)の道具(手作業道具に加え思考、理論、実践経験、検証手段)は狭く閉ざされている。ingenieur技術者は近代科学技術の技師であるが、これを科学者と読むのも理解につながる。

この一文を「野生の思想」と「近代思想」との対照と見なせば、bricolageの位置が明瞭になる。

魔術はモノの因果を語る「科学」である。「モノに限定」されている方法である。モノを本質に限定し、属性を退け因果世界を説明する思考である。一方、科学者は雷の発生を道真の怨恨とする説を退け、気象状況から説明する。背景には雨雲の属性を重要視する。発達の仕組み、その対地効果を雨量と落雷で説明する、これも雲と雷と落雷火災などはモノ同士の共時因果ではあるが、科学者は温度やら湿度などの系統を体系として持ち上げる。「因果causalite」と幅と深みで異なり、道具をより多く持つ「決定論determinisme」の論拠をモトに、解決をさぐる。道具が足りなければ、レーダーを設置したりスパコンを立ち上げるなど工夫を凝らす。




この門を建立するに建築道具、部材など技術の粋を集めたはずだ。facteur du Cheval(15日投稿)の建築手法とは比べものにならない。しかしどことなく同様の「魔につながる詩的mythopoetique」印象を与えるのは、未開の思考が我々にも居ついている証しなのか。(写真はネットから)

両者の思索の差とは「問題」に向かう姿勢である。
寄せ集め従事者は問題を正面から認識しない。問題の本質を追求するけれど、属性にはあまり目を向けない。そして手持ち道具で解決するとしている。
寄せ集め作業従事者には「民芸」作者など土着作業者も含まれる。
彼らはどのようにして、ガラクタ土器とか古着パッチワークみたいな寄せ集め作品を製作したのか。本書の文意を探ると「土器が必要になった、そこいらの泥を適当にこねて、ぺたぺた叩いて日干しにするベイ」こうした「寄せ集め」が想像できる。作成技術に限界があるし、仕上がりの様を見据えず「適当なやり方、身近名道具」でモノを作る人々が目に浮かぶ。

この土器制作者に見る寄せ集め思考は
1 目的について本質を見る、属性を重視しない。
(土器という本質が大事、属性としては大きすぎない水漏れしない程度を規定する)
2 故に、見えるモノ(作製された土器)と概念としての必要性(こういう土器を作ろう)の対峙はアイマイである。

思考の進め方で魔術との共通性が認められないか。 続く


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