蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

22度の別れ、死と生、せめぎと受容 読み切り

2020年03月23日 | 小説
(2020年3月23日)
ウィルスは人の生体に住む。
体内温度が36度として、この温度帯域に適応し繁殖して、多くの場合宿主に悪さをする。一方、唾液の飛沫などに混じって対外に掃き出されたウィルスは寒さを好む。ある統計では気温8度Cで6時間後に50%のウィルス個体が壁などにへばりついて生存する。気温22度Cでは3%に低下する(ネット調べ)。
低気温で生をしのぐ排出ウィルスが、22度の外気に取り巻かれていると知ったとたん、「熱気」に悶え死ぬ。この仕組みは上の数字データで容易に読み取れる。けれど、もう一歩推察を深めると、人体36度に順応していた奴らが22度に悶えて「焼け死ぬ絡繰りはとても理解しにくい。小筆からは何も言えない。気になる御仁は専門家に聞いてくれ。

一方、人はこの22度を快適とする。生物学的にかつ病理学的にこの理由を説明できる。
生物として人の進化をみるとアフリカの原野に生を得た時は大人も子供の毛むくじゃらだった。チンパンとかゴリラを見て、その毛の生え様をおぞましと震えてもそれは我らが先祖、ラミダスとかジンジャン原人の姿だったと思い知る謙虚さが大事だ。すなわち全裸体に毛むくじゃらの体温36度C(新陳代謝の基盤なので種を通じて固有体温は変化しない)のオッサンが、棒を振り回してレイヨウやらネズミを追いかける最適温度が22度なのである。27~28度ともなると暑さに体力が持たないから、ネズミを取り損ねる。15度くらいあるいはそれ以下では筋肉がほぐれないからスタートダッシュがかからない。高気温でも低気温でもネズミに逃げられる。
現代、人様は裸でも毛むくでもないから、服をはおる。22度なら肌着にシャツの一枚を引っかけてちょうど良い。身が軽いから動き回れる。ラミダス原人がエチオピア(と今呼ばれている)地を闊歩していた、裸と毛むくの記憶が身体に蘇ったか瞬間でもある。
上の説明のごとく「生物条件」としてではなく「文化的」に気温の22度の貴重性を捉えるを小筆が試みよう。
22度を体感すると、文化あるいは歴史的に何某かが心にうごめいて、人が野をうろつくという背景である。22度の野に出でる人々の写真を下に掲載した。



22度を人が捉える中身は流行の新型コロナウィルスとも関連する。;
「これほどにヌクくなったら流行りの病にうつらない」と人が判断する。病にウツラなければ野に出ようのノリである。流行り病とは西風に吹かれてやってきて、冬に猖獗する風邪、インフルエンザである。インフルエンザは平成、令和に始まったワケではない。江戸期にも室町にも古代(三代実録の記録=ネット読みカジリ)にも猛威をふるったとある。人は歴史的に「寒い季節に流行り病をもらうと後々タチが悪い、下手うてば死ぬ」と覚え、気温22度が罹患とはねのけを峻別する起点であると経験として掴んだのではないか。
別れとは冬の籠もりとの別れ、そして流行り病との別れでもある。か様に古代から日本では、22度は花咲ける戸外活動と、陰湿な屋内の肺炎衰弱の別れ路であったのだ。

写真:東京府中市、多摩川河川敷のバーベキュー広場。3月22日撮影。武漢インフルの心配など微塵にも抱かず、多くの市民がバーベキューに興じていた。なぜって府中市のこの日の気温予想は22度だから。ウィルスの97%は即座に死んでしまうと、市民は経験的に知っているから。

もう一つの生物体の生死の22度の岐路を述べる。
ウィルスと人の中間に昆虫がうごめく。その王者はセミである。
蝉は気温25度Cで鳴き始める。秋に入って夜の気温が22度に下がると彼らは「凍死」するのだ。フツー凍死は気温マイナスで起こるが、それは人様の身の上に限る、寒さに強いタコ、ウツボとは比較するはおろか、蝉は絶対に22度で死ぬ。
悶えの焼死、凍えの突然死、花咲く野での飛び回り。22度が仕掛けるウィルス、セミ、人の生活動のふるい分けの様を知るにつれ、人なる私は明日にこそ、野に出で山を目指して彷徨おう、願う次第です。了
補記:♪私の誕生日に~中略~17本目からは一緒に火を灯し♪(22歳の別れ、曲と詞伊勢正三)別れたのは22本目の蝋燭に火を付けたからです。ここにも22の別れがあったのか。

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