屋島合戦図鍔 (鍔の歴史)
屋島合戦図鍔 無銘後藤徳乗
後藤宗家五代徳乗は光乗の嫡子で、天文十九(1550)年の生まれ。寛永八(1631)年に82歳で没している。徳乗もまた長命であった。やはり桃山文化隆盛期の金工である。
四代光乗の頃から次第に古代中国の伝説などを背景とする人物が主題の図を描くようになる。さらに風景図も加わり、後の後藤家の定番とも言える、合戦図を盛んに製作するようになったのが徳乗の頃と考えられている。
写真の屋島合戦図鍔が徳乗の作と考えられている貴重な鍔の作例。ようやく後藤家にも鍔が出てくるわけだが、決して多くはない。赤銅魚子地木瓜形を高彫にし、屋島での扇の的と弓流しの名場面を見事に絵画表現している。色絵として金のほかに銀と素銅を用いている。時代的には多くはない。もう少し下がってから多用されるようになる。
屋島合戦図鍔 無銘後藤徳乗
後藤宗家五代徳乗は光乗の嫡子で、天文十九(1550)年の生まれ。寛永八(1631)年に82歳で没している。徳乗もまた長命であった。やはり桃山文化隆盛期の金工である。
四代光乗の頃から次第に古代中国の伝説などを背景とする人物が主題の図を描くようになる。さらに風景図も加わり、後の後藤家の定番とも言える、合戦図を盛んに製作するようになったのが徳乗の頃と考えられている。
写真の屋島合戦図鍔が徳乗の作と考えられている貴重な鍔の作例。ようやく後藤家にも鍔が出てくるわけだが、決して多くはない。赤銅魚子地木瓜形を高彫にし、屋島での扇の的と弓流しの名場面を見事に絵画表現している。色絵として金のほかに銀と素銅を用いている。時代的には多くはない。もう少し下がってから多用されるようになる。